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まちから【博多 山笠のまちから】

(上)継承に誇り、伝統も柔軟に

写真:集団山見せで、道路いっぱいに広がり駆けていく男たち=2014年7月13日、福岡市博多区 拡大集団山見せで、道路いっぱいに広がり駆けていく男たち=2014年7月13日、福岡市博多区

写真:1971年7月15日、追い山で櫛田入りする大黒流 拡大1971年7月15日、追い山で櫛田入りする大黒流

写真: 拡大

 オイサ、オイサ――。押し寄せる波のように、締め込みに法被姿の男たちが福岡・博多のまちをうねり、駆け抜ける博多祇園山笠。7月に入ると、博多は山笠一色に染まる。

 山笠を奉納する櫛田神社で20日、博多祇園山笠振興会の総会があった。山笠を舁(か)く(担ぐ)集合体は、16世紀末の豊臣秀吉の「太閤町割り」に由来する七つの「流(ながれ)」だ=図。この日、集まったのは紺地に白い柄の長法被(ながはっぴ)を着込んだ各流の幹部ら約100人。

 大広間で、武田忠也副会長が議題の冒頭にある一文を読み上げた。「参加者は誇りをもって継承し、特権意識を持たないこと」

     ◇  □  ◇  □

 時代の波にしなやかに順応してきたからこそ、山笠は博多に根付いた。「『そこのけ、そこのけ』ではダメ。みんなから応援してもらってこその祭りということ」。振興会の元会長で恵比須(えびす)流の波多江五朗さん(83)は言う。

 たとえば、山笠を町内に立てる際、警察への申請前に近隣住人らの了解をとっている。車の出入りの邪魔になるなどの苦情対策だ。「山笠(やま)は神様。以前は『家の前でありがたい』と言われることも多かったんですが……。時代が変わったんでしょうな」

 鎌倉時代の僧、聖一国師(しょういちこくし)が疫病退散のために祈禱(きとう)水をまいたことが発祥とされる山笠。774年も続いてきた理由について波多江さんは「一体感と、自然体であることでしょうか」と語る。

 重さ1トンの山笠と一緒になって疾走する心地よさ。山笠につけない子どもらは前を走るなど、「それぞれに楽しむ場所がある」。若者はしきたりや礼儀を自然と学びながら、「役目を次第に任され、仲間に溶け込んでいくんです」。

 明治時代、「半裸は野蛮」との批判から法被を着るようになった。電線が架設されると、低めの舁き山と高い飾り山に分離。1945年6月の福岡大空襲で博多が焼け野原となり、一時中断したものの、翌年の博多復興祭に子供山笠が登場。48年に本格的に山笠が復活した。天神に人が流れ出していた62年には、初めて天神側に入る「集団山見せ」を始めた。

 留守中の商売、食事の用意などを切り盛りするのは「ごりょんさん」と呼ばれる女性たちだが、女人禁制の山笠。2003年には一部で掲げられていた立て札「不浄の者立ち入るべからず」に批判が向けられた。振興会は「清浄な神事との心構えからで、女性蔑視ではない」としながら、「時代にそぐわない」などとして全廃を決めた。

     ◇  □  ◇  □

 60年代ごろからドーナツ化現象で都市部の住民が減ると、地元以外からの加勢人を積極的に受け入れるようになる。現在、波多江さんの町の舁き手は百数十人いるが、うち地元に住むのは5人ほど。「山笠のルールを守れば仲間。来る人は拒まず、という博多のオープンな気質もあるんでしょうか」

 山笠は今、オフィスビルや単身者用マンション、駐車場などがひしめく中を通り抜ける。

 マナーを意識する場面も増えた。宴会「直会(なおらい)」は幕を垂らして防音し、山笠を舁いて道路を横切るときには止まったドライバーにお辞儀する。歩きたばこは厳禁だ。「山笠が広く知られるようになり、動かす人たちだけではなく、それを見る人たちへの配慮も求められるようになってきた」と福岡市博物館の学芸員河口綾香さんはみる。(柴田菜々子)

     ◇

 商都博多の夏を勇壮華麗に彩る博多祇園山笠。伝統の祭りを育んできたまちの姿を3回にわたって紹介します。

 ■「遠くにいて、強く思った」 コメディアン・小松政夫さん

 この写真は、昨年の山笠期間中に撮ったものです。6月から帰りたいけど、今は体力温存中。中洲流の法被に袖を通す7月が、待ち遠しいです。

 19歳で上京してしばらくして、植木等さんの付き人兼運転手をして、芸能界入りしました。山笠の季節なのに博多に帰れない時期もあった。今は毎年帰っとります。うちが櫛田神社の南神門前にあってね、山笠が家の前に立ったりして、そりゃにぎやかでした。流は岡流。聞いたことないって? 残念ながら、人手不足や町界町名変更などでなくなった。私は中洲流から出してもらうことになった。

 ふだん博多にいないで仕事をする分、「広告塔」のつもりでいました。あるとき、所属する中洲四丁目で町の相談役に認めてもらうことになった。手拭(てのご)いをもらったときはありがたかったなぁ。

 山笠の男たちは、締め込みしたら人間の変わると。追い山のときなんか、いつも涙が出るね。大企業の幹部であろうと扱いは関係ない。下っ端までもが「おれがおらな山が動かん」って思っとる。年寄りを敬う気持ちもいいよね。

 「ふるさとは遠くにありて思うもの」とはよく言ったもんで、遠くにいるから山笠を強く思う部分もある。私にとっての山笠は「郷愁」です。(聞き手・柴田菜々子)

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