現在位置:
  1. 朝日新聞デジタル
  2. 地域情報
  3. 福島
  4. 記事
2012年04月21日
このエントリーをはてなブックマークに追加
mixiチェック

みちのく週末

【勝手に東北世界遺産】

第30号「仙台四郎」

写真:販売されている仙台四郎の置物。Tシャツや手拭いもあった=いずれも仙台市青葉区 拡大販売されている仙台四郎の置物。Tシャツや手拭いもあった=いずれも仙台市青葉区

写真:三瀧山不動院にある仙台四郎の像。神様らしく果物が供えられている 拡大三瀧山不動院にある仙台四郎の像。神様らしく果物が供えられている

 ●大竹誠一(郷土史家)/愉快な気持ちにさせる福の神

 仙台四郎の生涯にはいろいろな説がある。だが、明治期の仙台で有名人だったのは確かだ。

 東日本大震災でなくしてしまったが、私は明治15(1882)年の仙台各界の「番付表」を持っていた。呉服店や飲食店のほか、“美人”なども番付にしている。庶民の笑いを誘う内容だ。そして、今では人権問題だが、“ばか”の番付もあり、四郎がトップだった。

 四郎には知的障害があった。2〜3歳のころ、はしかにかかったからだとか、崖から落ちて頭を打ったからだとか言われるが、はっきりしない。だからこそと言うべきか、四郎は純粋さを残したまま成長した。

 四郎は、現在の風俗店にあたる店が多い地域をよく歩いた。「四郎が訪れたら繁盛する」という“伝説”が生まれ、四郎を呼び込んでは食事や新しい着物を振る舞ったらしい。

 しかし、四郎が絶対に入らない店があり、そんな店はつぶれると言われた。純粋な四郎は本能的に、下心ばかりで真心のない店を見抜いたのだろう。

 明治40年に生まれた私の亡父は、四郎に会ったことがあると話していた。写真と同じ、どてら姿。子どもたちがついて歩いても、にこにこ。みんなを笑顔にする人だったという。

 「福の神」と呼ばれるようになったのは、大正期の中ごろ。だが、あがめたのは、いわゆる場末の飲み屋だ。「堅気」の店からはそっぽを向かれたままで、次第に忘れられていった。私も青年のころ、すすけた四郎の写真を場末の店で見たことがある。父の話がなかったら、四郎だと分からなかった。

 福の神として復活し、広く知られるようになったのは、仙台中心部の商店街が20年ほど前、活性化策のような形で四郎を取り上げてからだ。それからは、すっかり仙台に定着している。

 写真や置物の四郎を見ていると、こちらも明るい愉快な気持ちになる。由来はかわいそうな面もあるが、こんな福の神が後世に残ってもいい。

 ◇おおたけ・せいいち 1941年、仙台市生まれ。仙台郷土研究会会員。日本茶販売業「大竹園」の社長。

 ・仙台市歴史民俗資料館によると、仙台四郎は江戸時代末期に生まれた。明治10(1877)年ごろには新聞に登場する有名人だったらしい。亡くなったのは明治40年代と言われるが、昭和時代になっても「目撃談」があったという。「福の神」にあやかりたい思いからだろう。

 仙台では四郎の写真や置物が売られている。たびたびメディアで取り上げられるため、観光客が開運グッズとして買い求めるという。(鈴木剛志)
 

PR情報

朝日新聞購読のご案内
新聞購読のご案内事業・サービス紹介

ここから広告です

広告終わり

福島総局から

「福島アサヒ・コム」は朝日新聞福島版の記事から、最新のニュースや身近な話題をお伝えします。
福島総局へのメールはこちらへ

朝日新聞 福島総局 公式ツイッター

アンケート・特典情報