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みちのく週末【勝手に東北世界遺産】

第214号「明田富士山」

写真: 拡大

写真:ふもとに住宅が立つ明田富士山=秋田市東通明田 拡大ふもとに住宅が立つ明田富士山=秋田市東通明田

 ●高橋大輔(探検家)/高い低いで測れぬ郷土の誉れ

 世の中、最高があれば、最低もある。それは富士山にも当てはまる。秋田市中心部にある明田富士山(みょうでんふじやま)(標高35メートル)には、日本山岳会秋田支部の「日本一低い富士山」の標柱が立つ。支部によれば1988(昭和63)年に富士商工会議所(静岡県)の認定を受けてから、植林やベンチ設置などの整備をしてきたという。現在でも訪れる人が絶えない。

 JR秋田駅から南東1キロ半ほどの明田地区にある登り口から歩き始めてわずか数分。山頂に立つと市街地を一望する視界が開けた。登頂者を裏切らない眺望はさすがに富士山だ。そもそもなぜ富士山と呼ばれるようになったのか。

 周辺には磯前神社、馬頭観音、明田稲荷大明神が立ち、明田墓地の墓の半数は江戸時代のものだ。歴史の吹きだまりのような山の頂には富士大権現の石碑がある。地元で生まれ育った富士山愛護会の加藤長次郎氏(70)によれば、かつてここに富士太郎と呼ばれる豪族がいた。山の名前はその土豪にルーツがあるはずだ。

 「秋田市史」によれば、富士太郎の名前は資料にないが江戸期以前には「香哥某」の居館だったとある。源頼朝に倣って富士権現を崇拝した香哥氏は、1570(元亀元)年の合戦で消滅した可能性もあるという。過ぎ行く時代の中で香哥氏は忘れ去られたが、富士太郎として人々の記憶に残ったのではないか。

 加藤氏らがまとめた「東通地域の歴史」をみると、沼地が広がり暮らしに向かなかった秋田市にあって富士山のふもとにはきれいな水が湧き出る井戸がいくつもあった。近くで古代の石器も見つかったという。明田地区は秋田市の中でもいち早く人が住み着いた土地だった。

 静岡県が最近実施した調査で、愛知県にある佐久島の富士山(標高31メートル)が最も低いとわかった。そこにも古墳があったらしい。富士山と呼ばれる山には地元民が誇る歴史が残されている。高い低いでは測れない、郷土の誉れそのものなのだ。

 春が来たら今度は郷土の歴史に思いをはせつつ明田富士山に登ろう。

 ◆たかはし・だいすけ 1966年、秋田市出身。南米チリ沖合の島で2005年、ロビンソン・クルーソーの実在モデルの住居跡発見。

     ◇        ◇

 小学校への登校時、目に飛び込んで来たのが、蝦夷(えぞ)富士と呼ばれる北海道の羊蹄山(1898メートル)。2階建て木造校舎の向こうに、そびえ立っていた。

 転校してきた友人が、折に触れて「すごいな」と言ったが、ピンと来なかった。生まれてから毎日見ていたからだろう。

 東京に向かう新幹線から富士山が望めるとうれしくなる。一方で、蝦夷富士のふもとで過ごした頃の失敗などの思い出がよみがえり、切なくなったり恥ずかしくなったりする。

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