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戊辰戦争150年

隠れた史跡マップに

写真:ガイドマップを手に話す飯塚恒夫さん=福島県只見町坂田 拡大ガイドマップを手に話す飯塚恒夫さん=福島県只見町坂田

写真:長岡藩家老・河井継之助の墓。火葬された際の細かな骨を地元の人々が集めて弔ったとされる=福島県只見町塩沢 拡大長岡藩家老・河井継之助の墓。火葬された際の細かな骨を地元の人々が集めて弔ったとされる=福島県只見町塩沢

写真:長岡藩家老・河井継之助が最期を迎えた部屋は、記念館の中に移設されている=福島県只見町塩沢の河井継之助記念館 拡大長岡藩家老・河井継之助が最期を迎えた部屋は、記念館の中に移設されている=福島県只見町塩沢の河井継之助記念館

 ●長岡藩士ら救った只見の先人/藩主の宿所跡など16カ所

 戊辰戦争で敗走してきた越後・長岡藩の藩士らを受け入れた歴史をもつ只見町は、ゆかりの地を紹介するガイドマップを8千部作成し、町内約2千世帯に配布した。町は「長岡の人々を救った歴史を知ることで、町の良さを再確認してもらいたい」と話している。

 ガイドマップは、町が歴史研究者らとつくる「奥会津只見戊辰150周年記念事業実行委員会」が編集。司馬遼太郎の小説「峠」で有名な家老河井継之助の足跡だけでなく、藩士の墓や藩主の宿所跡などなじみの薄い場所も盛り込んだ。

 1868年5月、長岡城が落城すると、藩主の牧野忠訓ら約380人が八十里越の峠を通って只見に逃れる。河井が率いる長岡藩ら東軍は7月にいったん城を奪い返すが、河井は重傷を負い、再び落城。藩士や家族、東軍兵ら1万人以上が只見に流入した。

 受け入れ側の責任者である会津藩の代官・丹羽族(にわやから)は、長岡藩の人々のための食糧を十分に確保できない責任から自害。この悲報に、人々はわずかな蓄えも供出して避難民を救った。

 長岡藩士の一部は鶴ケ城に向かい、会津藩とともに戦うが、河井は8月16日、只見町塩沢の医師宅で、41年余の生涯を閉じる。

 実行委は昨年、河井の滞在地跡や、丹羽が自害した代官所跡、長岡藩士の墓など16カ所の「史跡」を選定。現在は住宅や商店となっているところもあるが、標柱を立てて、史跡であることがわかるようにした。

 ガイドマップは、16カ所の場所を写真と文章を添えて紹介する。「只見と戊辰戦争」と題した解説も付け、只見町河井継之助記念館や「ふるさと館田子倉」など町内の歴史・文化施設と併せて示している。

 監修した実行委の飯塚恒夫会長(83)は「歴史を語り継いでいくためにも、しるしを残しておくべきだと考えた」と話す。只見では会津藩が降伏した9月22日以降も戦闘が続き、双方に死者が出た。飯塚さんは「西軍の墓はあるが、東軍の死者が葬られている場所は不明のまま。まだわからない点もある」と話す。

 町は只見、川口、南会津の三つの高校に生徒、教職員全員分を届けたほか、関係が深い新潟県長岡市の河井継之助記念館にも500部を送った。入手方法などの問い合わせは、実行委事務局の町観光商工課(0241・82・5240)。(戸松康雄)

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