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戊辰戦争150年

戦火の農村 1100軒家屋焼失

写真:焼失被害に遭った村の位置を示す簗田直幸さん=会津若松市中町 拡大焼失被害に遭った村の位置を示す簗田直幸さん=会津若松市中町

 ●会津史談会・簗田さん 市町村史調査/民衆ひどい目に・実態把握必要

 1868年の戊辰戦争で西軍(新政府軍)が会津藩・鶴ケ城に迫る中、周辺の農村では約1100軒以上の家屋が戦闘に巻き込まれたり、兵士に火をつけられたりして焼失していた。歴史研究会「会津史談会」副会長の簗田直幸さん(65)が、会津地域の市町村史に書かれた被害をまとめた。簗田さんは「どんな時代でも戦争でひどい目に遭うのは民衆だ」と話し、実態把握の必要性を強調している。

 簗田さんは、民間団体「会津戊辰戦争百五十周年事業実行委員会」の幹事長。農村部の被害に関する統計資料が乏しいことから、自治体の記録に着目。市町村合併前の「町史」などに書かれた家屋の焼失に関する記述を集めた。

 西軍は、(1)二本松藩との境の母成峠(2)南側の下野街道(3)西側の越後街道、などを経由し、現在の会津若松市に向かった。

 母成峠から西軍は猪苗代湖北側を進攻。経路の猪苗代町から磐梯町にかけての旧11村で410軒中176軒が焼失したとされる。

 下野街道を進んだ西軍は下郷町から会津美里町に入り、現在町庁舎がある高田地区が戦場になった。旧会津高田町史によると、300軒中246軒が焼けた。

 越後街道で会津藩など東軍(旧幕府側)は会津坂下町から代官所があった会津若松市神指町高久に退却し、この地域で300軒中249軒が焼失した。城の南側の「南青木組」(同市門田町など)でも、旧11村の合計として1069軒中453軒が焼けたとされる。

 同市河東町の「藤倉村」では、西軍から炊き出しなどを求められた後、9月2日、城に向けて進軍する際に火をかけられ、全村28軒が焼失したと伝えられる。

 簗田さんは「西軍によるものが多いが、中には、退却する東軍が家屋を敵に使わせないため、火を付けたこともあったと考えられる」と話す。

 農村部の被害とは別に、鶴ケ城の城下では武家屋敷以外に1300軒余りが焼けたと見られている。

 これらの調査結果は8月12日に会津若松市で開かれた同実行委主催のシンポジウムで報告された。

 簗田さんは「市町村史で明記されない例もある」と語り、被害の全容は不明だという。「なぜ会津を戦火で包むような軍事占領をしなければならなかったのか、被害を受けた人々に対して補償は行われたのか、本質的な問題は十分解明されていない」と指摘。「会津では『悲劇性』が注目されがちだが『150年』を機会に根本的な課題に着目すべきだ」と話している。(戸松康雄)

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