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平和・ヒロシマ

伝えたい 在りし日の広島

写真:川口洋子さん 拡大川口洋子さん

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 平和記念資料館「新着資料展」寄贈の市民に聞く

 両親の会社で使われていたジャムの油紙。針が止まったまま、70年以上も壁に掛けられていた時計――。広島平和記念資料館(広島市中区)の「新着資料展」で展示されている品々だ。モノに込められた思いを、寄贈した人たちに聞いた。(三宅梨紗子)

 ■川口洋子さん(82) 広島市東区

 ジャム工場守る母 託した髪

 「新鮮なる果実 純良なる砂糖 完備せる工場 滋養豊富 東邦のジャム」

 縦24・3センチ、横26・8センチの油紙に、うっすらとそんな文字が書いてある。

 1945年8月に原爆が炸裂(さくれつ)するまで広島市吉島羽衣町(現・中区羽衣町)にあった「東邦ジャム製造株式会社」が、炊きあげたジャムを入れる一斗缶の中ぶたに使っていたものだ。

 イチゴやアンズなどの旬の果物を使ってジャムを作っていた。パンに合うジャムを求めて外国人も買いに訪れたという。

 「朝目覚めると、ふわ〜っとジャムの甘いにおいがしてね」

 会社を営んでいた小早川家の三女として生まれた川口洋子さん(82)=広島市東区=はそう振り返る。

 原爆で母を亡くし、自宅も工場も失った。油紙は、いとこが疎開先で保存していた貴重な思い出の品だ。十数枚あるうちの2枚を平和記念資料館に寄贈した。

 戦前、菓子製造業「東邦商会」を立ち上げた父の小早川源平さんは、川口さんが生まれて間もなく、急性肺炎のため急逝した。母のハルコさんが後を継ぎ、社名を「東邦ジャム製造株式会社」と改めた。

 「軍需産業でね、軍に卸してたんよ」。多額の国防献金をしたとして皇居で表彰を受けるという母に連れられて、列車で東京へ行った。それが、母との最後の遠出となった。

 7歳で迎えた1945年の夏、広島県呉市の上蒲刈島にあった親戚の家に疎開していた。8歳上の長兄隆光さんは学徒動員のため、母は工場を守るため、広島市内に残っていた。

 8月6日の朝、ピカッという光とモクモク上がる煙を学校の校庭から見た。広島市の方角だった。

 長兄は親戚に見つけられて上蒲刈島に戻ってきた。混乱のなか、自宅近くの南大橋で母と再会したが、はぐれてしまったという。

 母のその後が分かったのはしばらくしてからだ。自宅が近所だった女性が疎開先を訪ねてきた。紙で包まれた頭髪を手渡された。

 「8月10日に亡くなりましたよ」

 母は広島・宇品港の沖に浮かぶ金輪島に運ばれていた。自分の死が近いことを知り、持っていたハサミで自ら髪を切り、島で会った女性に託したのだという。

 母が死んだ実感はなく、涙も出なかった。

 それから20年余り後の1968年。被爆後に引き取り手が見つからなかった遺骨が納められた「原爆供養塔」の納骨名簿を広島市が初めて公開した。平和記念館(現・平和記念資料館)に貼り出された名簿を見て、ぴたりと足が止まった。母の名があった。

 後日、手のひらに乗るほどの小さな箱を受け取った。墓に入れる前に中を確認しようとふたを開けると、遺骨ではなく遺髪が入っていた。近所の女性から受け取ったのと同じように、紙に包まれていた。

 「小さく丸めてあってね。いくつも作ったんじゃないかね」。救護に当たった軍人に母が託したのだろうと想像した。

 戦時中、母と一緒に「戦争が終わったら掘り起こそうね」と畑に食器を埋めた。そばにカンナの花が咲いていた。だから、今でもカンナを見るのが嫌だ。

 「まだ私の中で戦争は終わっていない。戦争のような愚かなことは絶対にしてはいけない」

 思い出の油紙を手に、そう語った。

 ■松井昭三さん(92) 広島市南区

 壊れたままの時計 刻む歴史

 「私は生かされているんですよ。奇跡的にね」

 松井昭三さん(92)=広島市南区=はゆっくりとした口調で語った。

 被爆前から住み続けている自宅は築80年以上。妻の美智子さん(84)が旅先で買ったお土産や、山が好きな夫婦の登山道具が3畳の和室に置かれている。その部屋に70年以上、針が止まったままの時計を掛け続けていた。

 1945年8月、17歳だった。爆心地から約3キロの広島市東雲町(現・南区上東雲町)の自宅で縁側に一人で立っていた。幼い頃から病気がちで、その日も学校を休んでいた。ピカッと外が光り、火柱が見えた。

 気がつくと、自宅の窓や壁が爆風で吹き飛ばされていた。

 両親と3人で暮らしていた。父は自宅近くの国民学校にいて、母は学校の教員らと食べ物や衣服を妹の疎開先に届けに行っていた。

 「お母さんがやけどをしている」。同じく疎開先に向かっていた教頭が家に知らせに来た。炎が上がる街の中を荷車を押して捜しに出たが、「熱くて熱くてね」。母は見つからず、家に戻って帰りを待った。

 翌朝、ガラリと引き戸が開き、母が帰ってきた。顔にひどいやけどを負って「ゆうれいみたいだった」。母はその後も顔のケロイドに苦しみ、87歳で亡くなるまで原爆の話をほとんどしなかった。

 あの日、時計は爆風で落ち、ガラスは割れ、振り子も外れて針は止まった。父に言われて毎日ねじを回していた時計だったが、「特に思い入れがあったわけじゃないんですよ」。それでも戦後、修復した家の中で、壊れたままずっと掛け続けた。

 母の享年を超え、卒寿を迎えた2年前、平和記念資料館に時計を寄贈した。「すっきり」したという。昨年、皮膚がんと胃がんが見つかり、手術した。

 「人がいなくなってもモノは残る。生き証人として、この先も残してもらえるなら」

 *70人から寄贈 遺品など613点

 平和記念資料館には毎年、被爆者が残した遺品など数百点を超えるさまざまな資料が寄贈される。

 資料館は毎年3月から「新着資料展」を開き、前年3月までの1年間に新たに寄贈された資料を展示している。来年3月までの予定で展示されているのは、2018年4月〜19年3月に70人から寄贈された613点だ。

 新型コロナウイルス対策で資料館も5月末まで閉館した。その間も展示物を見てもらおうと、今年初めてホームページ(http://hpmmuseum.jp/)で新着資料展の内容を公開した。資料館の学芸員、佐藤規代美さんは「実際に見に来ていただけるのが一番だが、来られない方にも届けたい」と話す。

 寄贈に関する問い合わせは資料館(082・241・4004)へ。

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