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金曜「ライフ・楽しむ」【光を見に行く 谷口雅春 露口啓二】

函館市(2)旧戸井線跡

写真: 拡大

写真:函館市汐首 拡大函館市汐首

■完成しなかった軍事鉄道

 「馬出没注意」。函館から恵山へ、国道278号を戸井に差しかかると不思議な警戒標識が何度も現れる。地元の人に聞くと、段丘の上の原野には野生化した馬が数十頭もいて、ときどき道に飛び出してくるのだという。もともとは人が放牧していた作業馬だ。このあたりは津軽海峡の最狭部で、汐首岬と本州の最北端大間崎のあいだは17キロあまりしかない。

 函館から東の海岸沿いは下(しも)海岸と呼ばれるが、これは近世蝦夷地の中心都市松前が上(かみ)だったからだ。海の幸を求めて中世以前から下北半島の人々も行き来した。目の前につねに本州の陸影が広がるこの土地は、「奥地」の札幌から訪れるとやはりなんとも北海道らしくない。そして汐首岬灯台が近づくと、朽ちかけてはいるがなお美しい八連のアーチ橋が国道から見える。ついに完成しなかった戸井線の痕跡だ。

 戸井線は函館の五稜郭駅から戸井町(現・函館市)にあった津軽要塞(ようさい)までの29キロあまりを結ぶはずだった、軍事専用路線だ。津軽海峡の制海権を守るために据えられた津軽要塞は、明治30年代に函館山に砲台が築かれたことにはじまる。大正の末には戸井や対岸の大間、竜飛にも砲台が設置された。『戸井町史』によれば、いまの日新中学校の裏山や旧戸井高校の近くにカノン砲や榴弾(りゅうだん)砲数門ずつが置かれ、まわりには探照灯や発電の設備、兵舎や下士官の詰め所、防空壕(ごう)などがあったという。

 鉄道は要塞に物資を運ぶために計画され、1937(昭和12)年に着工された。予定の駅は9駅。不便な下海岸にもついに汽車が通ると、地元の期待も高まる。30キロに満たない工事だったが、しかし海に迫るけわしい岩山の地形や難しい地質で工事は難航。谷を渡す鉄橋や岩山を貫くトンネル、崖のふちには高い石垣が積まれていくが、基礎工事が終わりそうなころに太平洋戦争がはじまった。戦時下の資材不足もあって、終点まで3キロ弱を残して工事は中断。戸井にレールが敷かれることは結局なかった。

 終戦のひと月前に北海道各地は米軍機の空襲にみまわれ、海峡では10隻以上の青函連絡船が全滅する。しかし戸井の要塞は、一発の砲火を放つこともできなかった。

 函館山同様に、戦前の戸井は要塞があるために写真撮影も禁止され、鉄道に関する詳細が人々に知らされることはなかった。社会基盤としての鉄路の多様な公共性があらためて問いなおされている今日。ただ戦争のために計画され、敗戦によって宙づりにされた戸井線の跡形は、多様性の対極にある、画一的なふるまいの空虚なシンボルに見えてくる。

 <文・谷口雅春、写真・露口啓二>

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