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わがまち遺産【わがまち遺産】

鴻之舞鉱山跡(紋別市)

写真:鴻之舞鉱山跡の石碑。奥は鉱山の犠牲者らの慰霊碑=紋別市鴻之舞 拡大鴻之舞鉱山跡の石碑。奥は鉱山の犠牲者らの慰霊碑=紋別市鴻之舞

写真:旧上藻別駅逓所に展示されている金鉱石や機材と、かつて鉱山で働いていた小玉勝信さん=紋別市上藻別 拡大旧上藻別駅逓所に展示されている金鉱石や機材と、かつて鉱山で働いていた小玉勝信さん=紋別市上藻別

写真: 拡大

 ■東洋一の金山伝える「道の駅」

 紋別市街地から南に約30キロ離れた山あいに、「鴻之舞鉱山跡」の石碑と慰霊碑がひっそりと並ぶ。ここはかつて「東洋一」の金山だった。

 金鉱脈が発見されたのは1916年。翌17年から住友による本格的な開発が始まった。外国から資材を調達するために金は不可欠だとして、増産に次ぐ増産が図られた。

     *

 太平洋戦争直前の40年の金産出量は2・8トンで、国内1位になった。周辺には精錬施設や社宅、病院、学校などが建てられ、42年の人口は1万4640人を数えた。「宇宙戦艦ヤマト」のテーマソングなどで知られる作曲家の故・宮川泰(ひろし)さんも、小学生時代をここで過ごした。

 だが戦争に突入すると貿易が途絶し、決済手段の金は不要となって43年に休山となった。戦後に再開されて54年に金産出量2・97トンとピークを迎えたが、その後は減少していき、73年に閉山した。総生産量は金72・6トン、銀1234トン。現在は坑口がすべて閉じられ、精錬所や煙突などコンクリート製の建造物が一部残っているだけだ。

     *

 鴻之舞鉱山跡と紋別市街を結ぶ道道脇に、国の登録有形文化財「旧上藻別駅逓所」がある。駅逓所は北海道独自の制度で、開拓期のいわば「道の駅」。鉄道のない地域へ向かう人たちに宿と馬を提供していた。

 旧上藻別駅逓所は道内に現存する約10カ所の駅逓所の一つで、1926年に開設された。木造一部2階建ての内部は4月末から11月末まで郷土史資料館として公開されており、金鉱石や鉱山機材などを展示する。管理する「上藻別駅逓保存会」は鴻之舞鉱山のOBたちが運営しており、鉱山跡のガイドも引き受ける。代表の小玉勝信さん(72)はかつて鉱山の資材係をしていた。「できれば坑道を一部でも公開して採掘現場を再現し、ここが日本を支える金鉱だったことを伝えたい」と話す。

 今年は鴻之舞鉱山の開坑からちょうど100年。紋別市は8月18日、宮川泰さんの息子で作曲家の彬良(あきら)さんを招き、記念コンサートを開く。

 (宮永敏明)

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