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道内スポーツ【北海道発 平昌2018】
新星たち(下)
■スキージャンプ・勢藤優花選手
■世界屈指の同世代追い飛躍
168センチと外国勢にもひけをとらない長身。平昌への初切符をつかんだ勢藤優花選手(20)=北海道ハイテクAC=は、その長身から飛び出し、ダイナミックな飛型を見せるのが特長だ。日本のエース高梨沙羅選手(21)=クラレ=と、昨季、W杯5勝の伊藤有希選手(23)=土屋ホーム=の同世代のジャンパーを追いかけながら成長してきた。
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札幌市で生まれ、2歳の時、上川町に移った。ジャンプを始めたのは小学1年生の時、地元の上川ジャンプ少年団の陸上トレーニングを見学したのがきっかけだった。ゲレンデスキーから入り、小学2年から本格的に取り組んだ。同じ町で育った高梨選手とは中学まで同級生。高梨選手が子どもの頃からジャンプで活躍するのを見て、「少し遠い存在だった」と言う。
結果が出ずに一時は、高校3年間でジャンプを辞め、母の明美さん(49)と同じ看護師を目指そうと思った。だが、3年生になった2014年のサマーシーズンから歯車がかみ合いだし、この年の12月にはW杯初出場を果たした。
2季前のW杯は蔵王大会で自己最高の5位で入賞するなど総合17位、昨季も平昌大会での5位など総合12位と伸ばしてきた。上川町出身の大先輩、長野五輪団体の金メダリスト、原田雅彦さん(49)=雪印メグミルクスキー部監督=は「(試合では)2本目に進めるかどうかだったのが、この4年でW杯トップ10に入るまでに成長した」とうれしそうだ。
五輪イヤーの今季は、悩みながら戦ってきた。W杯開幕3連戦は、15位、13位、19位と下位からのスタート。「スタートからアプローチ(助走姿勢)、どう飛んだらいいのか分からなくなって、ジャンプが怖くなった」と話す。
父の則幸さん(46)は勢藤選手がジュニア時代のコーチで、今も上川町から電話などで助言を送る。「ジャンプが怖い」という娘の思いに「コーチや技術スタッフ、栄養士さん、大勢の人たちのおかげで飛ぶことができる。『結果を』という思いがプレッシャーになっている」と話す。
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1月の札幌、山形・蔵王と続いたW杯日本連戦。復調のきっかけをつかみ、表情に明るさが戻った勢藤選手がいた。「着地で転んでもいいぐらいの感覚」で前に体を出すように飛ぶことを意識し、怖さはなくなってきたという。
雪深い上川町内のあちこちに高梨選手のピンクと勢藤選手の青色の応援ののぼりが立つ。「大会を楽しんで欲しい」と母の明美さんは言う。
五輪代表が決まった後、「考えすぎないように、楽しもうって」と笑顔で話した勢藤選手。初の夢舞台への思いは整った。
(武沢昌英)
=終わり
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