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憲法の現場から【憲法の現場から】

(2)恵庭事件

写真: 拡大

写真:恵庭事件元被告の野崎健美さん=北広島市 拡大恵庭事件元被告の野崎健美さん=北広島市

写真:「恵庭事件」を制作・監督した稲塚秀孝さん=東京都 拡大「恵庭事件」を制作・監督した稲塚秀孝さん=東京都

■憲法武器に 陸自と闘った

■裁判「権利守るために努力」

 「元恵庭事件被告」

 北広島市に住む野崎健美(たけよし)さん(83)の名刺には、こう肩書がある。56年前、隣の恵庭市の陸上自衛隊演習場で起きた事件で、弟の美晴(よしはる)さん(81)とともに被告として裁判を闘った。

 旧陸軍の演習場に挟まれた土地で、野崎さん一家は1941年に酪農を始めた。演習場は戦後米軍に接収された後、自衛隊の演習場になり、ジェット機による爆撃訓練や射撃訓練が頻繁に行われた。爆音によるストレスで乳牛の乳量が減り、流産する牛もいた。体調を崩した両親は、移住を余儀なくされた。

 62年12月11日は、大事な牛の搾乳の検定日だった。突然砲音が鳴り響き、兄弟は自衛隊に中止を申し入れたが、聞き入れられなかった。「ほかに道はない」。美晴さんは演習場に入り、大砲の砲座と着弾地点の間の連絡用の通信線をペンチで切断した。翌日は健美さんが別の通信線を切った。

 陸上自衛隊北部方面総監部が告訴し、札幌地検は2人を自衛隊法違反の罪で起訴。全国から札幌地裁に集まった弁護団は、自衛隊の憲法9条違反を争点に法廷闘争を展開した。

 だが、健美さんが最も意識したのは「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と定めた憲法12条だった。「自由や権利を守るために、自分は絶えず努力をしているか、憲法に基づいて行動しているかどうか。それが私の行動基準だった」と振り返る。

 67年3月、札幌地裁は2人を無罪とする一方、自衛隊が違憲かどうかの判断は避けた。検察側は控訴せず、無罪が確定した。

    ◇

 判決から50年後の昨年7月、恵庭事件を扱った映画「憲法を武器として 恵庭事件 知られざる50年目の真実」が完成した。制作・監督したのは、苫小牧市出身の映像作家・稲塚秀孝さん(67)だ。判決当時は苫小牧東高校1年生。「肩すかし判決」の新聞見出しを見て疑問がわき、高2の夏に列車に乗って野崎兄弟に会いに行った。その時聞いた話を元に台本を書き、級友と学園祭で上演した。

 長くテレビ制作現場で働き、独立プロダクションでテレビや映画用の作品を撮っていた稲塚さん。2016年の正月、半世紀ぶりに健美さんに電話で連絡をとった。判決からまもなく50年という感慨と、安倍政権による改憲の動きへの危惧からだった。健美さんの話を聞き、「今こそ世に問うべき事件だと直感した」。すぐに当事者や裁判記録にあたった。ドキュメンタリーと再現ドラマを組み合わせた映画に仕上げた。

 「私たち国民が権力と対峙(たいじ)せざるをえない時に私たちを守ってくれるものが憲法であるなら、野崎兄弟はまさに憲法を自分たちの武器として行動した。だからこそ、権力を打ち負かすことができた」

 健美さんは無罪判決を勝ち取った後、牧場の再建や乳牛の改良に努める一方、「個人の自由や権利を守るための不断の努力」も忘れなかった。13年、特定秘密保護法案が提案された際、メッセージを報道機関や政党に送った。個人の尊厳や基本的人権が脅かされる危機感を持ったからだ。

 映画「恵庭事件」の上映会に健美さんはできるだけ足を運び、来場者に語る。「元被告」として、国家権力が個人の権利を侵す危うさ、憲法が武器になりうることを伝えている。

 (芳垣文子、斎藤徹)

■憲法12条

 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

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