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わがまち遺産【わがまち遺産】

対雁(江別市)

写真:川面が一部凍結した石狩川下流。対雁の集落は奥の左岸付近に築かれた。現在は流域が変わり、一部は川底になっている=江別市 拡大川面が一部凍結した石狩川下流。対雁の集落は奥の左岸付近に築かれた。現在は流域が変わり、一部は川底になっている=江別市

写真:対雁の番屋があった場所は、今は「榎本公園」になっている。園内には、ここに農場を開いた旧幕臣・榎本武揚の顕彰碑が立っている=江別市工栄町 拡大対雁の番屋があった場所は、今は「榎本公園」になっている。園内には、ここに農場を開いた旧幕臣・榎本武揚の顕彰碑が立っている=江別市工栄町

写真:上写真:市営墓地に立つ樺太アイヌの慰霊碑。傍らには、祭祀(さいし)に使われたイナウ(木幣)が雪に埋もれていた=江別市対雁 拡大上写真:市営墓地に立つ樺太アイヌの慰霊碑。傍らには、祭祀(さいし)に使われたイナウ(木幣)が雪に埋もれていた=江別市対雁

 ■「樺太アイヌ」強制移住の悲劇

 札幌市中心部から北西へ車を30分ほど走らせると、北海道一の大河・石狩川の下流にたどり着く。暖冬と言われる今冬だが、川岸は冷たい風が吹きすさび、川面には氷が張っている。

 石狩大橋と新石狩大橋に挟まれた左岸に、江別市・対雁(ついしかり)地区はある。今は川沿いに工場や住宅が並ぶ一帯は、元々は約150年前、明治政府によって人工的に作られた集落が始まりだ。住民は、樺太(現ロシア・サハリン)から強制的に連れてこられた「樺太アイヌ」の人々だった。

 地区内にある市営墓地・やすらぎ苑の小高い場所に、2基のお墓が立つ。一つには「乗仏本願生彼国」、もう一つには「樺太移住旧土人先祖之墓」と刻まれている。

    *

 樺太に住んでいたアイヌの人たちが、対雁に移住してきた背景には、現在につながる領土問題がある。

 アイヌはじめ先住民族、ロシア人、日本人が雑居していた樺太は、日露和親条約(1855年)では国境が画定できず、両国間でトラブルが頻発。明治政府は樺太千島交換条約(75年)を締結し、得撫(うるっぷ)島以北の千島列島を取得する代わりに樺太を手放した。

 江別市郷土資料館によると、政府はこの時、日本人漁業者らと関係が深かった樺太アイヌに対し「日本へ移住しない限り日本人としての権利を認めない」との布告を出し、北海道への移住を促した。農業開拓や炭鉱労働に従事させ、北海道の開拓を進めたいとの魂胆があったという。

 度重なる説得を受け、樺太アイヌの人々はいったんは樺太を望める道北の宗谷地域に移った。その後、対雁を視察した代表者は、開拓使に対し「多人数が移住すると集落が混雑し、疫病が流行すれば全滅しかねない」などと嘆願した。

 だが開拓使は、1876年6月、かれらを対雁に連れていったという。108戸、854人の樺太アイヌが、強制移住させられた。

 開拓使は、玄米の支給や学校の設置など、定住のための策を施した。しかし、多くの人が、慣れ親しんだ漁業で生計を立てるため、約40キロ離れた石狩川河口に移っていった。

 そんな折、疫病が集落を襲った。79年はコレラが、86年には天然痘も流行し、約330人が命を落としたとされる。指導者たちが危惧していたことが現実となり、対雁集落は壊滅状態となった。

 1904年に勃発した日露戦争を経て、樺太の南半分が日本の領土となった。戦争終結の前後、北海道に残っていた樺太アイヌのほとんどが、故郷に帰還したとされる。

    *

 今年1月、樺太アイヌが脚光を浴びるできごとがあった。作家・川越宗一さんの小説「熱源」が、第162回直木賞に選ばれたのだ。選考委員は「近年まれにみる大きなスケール。登場人物も生き生きと魅力的に描かれている」と評した。

 実在の樺太アイヌらを主人公に、差別にさらされた対雁での少年時代から、耐えがたい悲劇を経ての樺太帰還、その後の日露戦争やロシア革命前後の混乱に巻き込まれていく様を、史実を下敷きに描いた壮大なフィクションだ。

 ヤヨマネクフ(山辺安之助〈やまべやすのすけ〉)、シシラトカ(花守信吉〈はなもりしんきち〉)、千徳太郎治(せんとくたろうじ)……。時代や国家、そして文明という名の暴力にほんろうされながらも、民族の誇りを胸に激動期を生きぬいた樺太アイヌの躍動がまぶしい。

 物語は、第2次世界大戦までを舞台としている。日本の敗戦とソ連軍の侵攻で、樺太アイヌはまたしても故郷を奪われ、「和人」とともに北海道に渡ることとなった。

    *

 現在の対雁にほど近い浄土真宗本願寺派・真願寺は、疫病などで亡くなった樺太アイヌの葬儀をあげ過去帳を保管していた縁で、1979年から毎年6月、市営墓地のお墓の前で、遺族や一般参詣者とともに法要を行っている。石堂了正(せきどうりょうしょう)住職(57)は「小説をきっかけに事実に関心を寄せ、歴史を学んでいただけるとありがたい」と話し、こう続けた。

 「樺太アイヌの方々のように意に反して移住を強いられている人々は、いまだ世界中に多く存在する。領土問題で悲しい思いをする人がいない世の中になればと、願わずにはいられない」

 (斎藤徹)

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