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教育【青春スクロール】

桐蔭学園(8)

写真: 拡大

写真:(左上から時計回りで)土屋恵三郎さん、志村亮さん、大久保秀昭さん、高木大成さん 拡大(左上から時計回りで)土屋恵三郎さん、志村亮さん、大久保秀昭さん、高木大成さん

写真:茂木栄五郎さん 拡大茂木栄五郎さん

■「今に見てろ」猛練習重ねて甲子園へ

 甲子園に夏6回、春5回の出場を誇る桐蔭学園高校野球部。猛練習が選手を育てた。

 初出場、初優勝の快挙を成し遂げた1971年夏の決勝で7回に三塁打を放ち、決勝のホームを踏んだ土屋恵三郎(62、1972年卒)。高校野球の世界で当時の桐蔭はまだ無名に近く、他校からは「きりかげ」と呼ばれていた。「今に見てろと思って猛練習を続けた」と振り返る。その後も母校の監督として一時代を築いた。教え子に巨人監督の高橋由伸(41、94年卒)らがいる。

 慶大のエースとして活躍、今は不動産会社に勤める志村亮(49、85年卒)は、高1の時に味わった屈辱が「がむしゃらに野球に打ち込む原点になった」と語る。夏の神奈川大会初戦。先輩が投げて0―9とリードされた後に登板したが、自身も1点を奪われてコールド負け。これが発奮材料になり、83年春、84年夏の甲子園出場を果たす。

 慶大を経て西武ライオンズで活躍し、西武系ホテルに勤務する高木大成(42、92年卒)も「甲子園を目指して、がむしゃらだった」。主将になった直後の2年秋の県大会で負けたのがショックで、当時の土屋監督に練習方法の改善を直談判した。雪が降った日も雪かきをした後に裸足で走った。「冷たく、痛くて感覚もなくなったが、みんなで声を出して頑張った」。この頑張りが、3年夏の甲子園出場につながった。

 新日本石油ENEOS監督の時に都市対抗野球大会で3回優勝し、現在は慶大監督を務めるのが大久保秀昭(46、88年卒)。桐蔭時代は捕手で活躍したが、甲子園の夢は果たせなかった。「午前0時すぎまで練習したのに何で負けたんだと、ショックだった」と振り返る。だがこのことが、その後の野球人生で原動力になった。

 近年、甲子園から遠のいている桐蔭だが、今年は元気の良い卒業生がプロ入りした。早大からドラフト3位で楽天イーグルスに入った茂木栄五郎(22、2012年卒)は、その俊足に注目が集まる。一番の思い出は冬の走り込み。グラウンド1周を10本、両翼間を往復10本。制限時間を超せばさらに1本。「もう絶対にやりたくない。でも、高校時代にプロ入りへの基本が鍛えられた」と笑う。

      ◇

 桐蔭学園高校は今回で終わります。高木和男(東京都立雪谷高校、70年卒)が担当し、敬称略で紹介しました。次回は創立77年を迎えた法政大学第二高校(法政二高)です。

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