メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

02月17日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

新着記事一覧へ

このエントリーをはてなブックマークに追加
mixiチェック

企画特集 3【神奈川の記憶】

(25)鎌倉アカデミア 創立70周年

写真:寺のお堂での授業を示すひとこま。雑誌掲載のための撮影だったといい、普段は床に座っての授業だった=鎌倉市中央図書館蔵 拡大寺のお堂での授業を示すひとこま。雑誌掲載のための撮影だったといい、普段は床に座っての授業だった=鎌倉市中央図書館蔵

写真:鎌倉でも随一の大きさを誇る山門を背にした産業科の記念写真。大船へと移る1948年春の撮影=鎌倉市中央図書館蔵 拡大鎌倉でも随一の大きさを誇る山門を背にした産業科の記念写真。大船へと移る1948年春の撮影=鎌倉市中央図書館蔵

■理想追った伝説の「大学」 4年半で閉校 多彩な人材巣立つ

 鎌倉の光明寺は浄土宗の大本山。鎌倉時代の創建で大きな門の先には材木座の海岸が広がる。

 この寺に若者が集まり始めたのは1946年5月だった。開山堂を教室にして鎌倉大学校が開校した。

 「すごい学校ができる。戦争に反対していた偉い人たちが先生になる」と1期生の加藤茂雄さん(90)は知り合いに教えられた。栃木の陸軍基地で敗戦を迎えた加藤さんは、鎌倉に戻り漁師の手伝いをしていた。

 母体となったのは鎌倉文化会。鎌倉在住の画家や演劇家らが敗戦3カ月後に立ち上げた。そこでの「自分の頭で考える人間づくりが必要だ」との声が大学設立へと発展した。設立準備委員は7人。うち4人は町会長が名を連ねている。

 教授集めに走り回り、設立認可は知事との直談判で取り付け、半年で開校にこぎつけた。当時は珍しい男女共学で、産業、文学、演劇の3科を設けた。「いくさに負け心も体も疲れ切った若者が集まってきた」と振り返る加藤さんは演劇科を選んだ。

 教室はお堂をベニヤ板で仕切り、畳に座っての授業だった。先生の声にお経が重なって聞こえたという。

 施設は貧弱だったが、教授陣は豪華だった。世界文学を林達夫、日本近世史は服部之総、演出論は村山知義、仏文学を中村光夫、古典文学を西郷信綱、東洋文化史を三上次男……戦後の学界や文化を主導する顔ぶれが授業を担当した。

 焼け野原の東京に比べ、空襲を受けなかった鎌倉は暮らしやすいという事情もあったようだが、思想弾圧で戦時中に大学を追われた研究者も多かった。

 教室の開山堂と本堂をつなぐ廊下にはギリシャ文字を彫った板が掲げられた。

 ――幾何学を学ばない者は、この門を入ってはいけない――

 プラトンの言葉だが、科学的思考を尊ぶ学校の理念を示すとして選んだ哲学の三枝博音も治安維持法に触れ大学教授の職を失った一人だった。

 授業には教授の個性と熱意があふれていた。

 2期生で劇作家の若林一郎さん(84)は青江舜二郎の思い出を語る。「食べ物がなく、帰る頃には空腹で目が回りそう。それでも鎌倉駅まで歩いて30分近く、その後の列車の中、さらには東京の先生のお宅でも演劇の話を聞いた」と語る。

 屋外での授業を好み、情熱的に文学の魅力を語ったという歌人の吉野秀雄は校歌に相当する「学生歌」を作っている。

 いくさ やぶれし くにつちの/おきて ことごと あたらしく/もゆる めばえに さきがけて/ここに われらは つどひけり

 痛切な戦争体験を踏まえ新しい国をつくるのだとの思いが伝わってくる。

 だが運営は多難だった。制度が変わりお寺を宗教活動以外に使えなくなり、2年後に大船の旧海軍施設に移った。正式な〈大学〉と認められないとして〈鎌倉アカデミア〉と改称。財政面でも自立できず、50年秋に閉校に追い込まれた。

 わずか4年半の学校だった。在学生は600人とも800人ともされ多くはないが、〈寺子屋大学〉などとして伝説的存在となっているのは、巣立った人材の多彩さもあるからだろう。

 演劇科で加藤さんの同期生は25人だったが、その中には劇作家の津上忠、脚本家の広沢栄、演出家の増見利清、作曲家のいずみたく、放送作家・司会者の前田武彦らがいた。作家の宮野澄、山口瞳、沼田陽一らもOBだ。

 加藤さんは俳優となり、黒澤明監督の「七人の侍」など多くの映画に出演したが、「助監督などとして同窓生がどこかにいて助けてくれた」と語る。

 創立70周年の記念祭が6月4日午前9時半から光明寺で開かれる。講演や当時の授業の再現、卒業生がつくった人形劇団「ひとみ座」の公演などが予定されている。〈教育とは〉を考えるいい機会となりそうだ。事前の申し込みは不要で、参加費千円。問い合わせは鎌倉市中央図書館(0467・25・2611)。

 三枝博音は閉校時の校長として「始末記」を残し、存続できなかった理由として〈アカの風評〉を挙げている。敗戦直後には〈戦争に反対=偉い先生〉と受け止めた社会の雰囲気が変わったことを示すのだろう。閉校は朝鮮戦争の勃発からほどなくだった。戦後日本の歩みを考える貴重な手がかりともなりそうだ。

(渡辺延志)

ここから広告です

横浜総局から

身近なニュース、教えてください。
身の回りの出来事、ニュースや記事へのご感想などをお寄せください。
【E-mail:kanagawa@asahi.com】
★ツイッターでの情報発信も始めました。
https://twitter.com/asahi_yokohama

朝日新聞 横浜総局 公式ツイッター

注目コンテンツ

  • 写真

    【&BAZAAR】タブレットにもなる超薄型PC

    薄さ約9.9ミリ、重量約775g

  • 写真

    【&TRAVEL】ホテルの極上おもてなし

    ドバイで優雅なホテルステイを

  • 写真

    【&M】「エトピリカ」に感動

    気象予報士・弓木春奈

  • 写真

    【&w】たくましい巨岩と広い大地

    ノーザンテリトリーの魅力

  • 写真

    好書好日命をかけて収集した傑作も

    「世界の伝承あやとり」刊行

  • 写真

    WEBRONZA一流研究者はドイツに向かう

    今日の編集長おすすめ記事

  • 写真

    アエラスタイルマガジンIWCのパイロット・ウオッチ

    ジュネーブサロン・リポート

  • 写真

    T JAPAN今、観に行くべき展覧会3選

    “幻”の作家・岡上淑子展など

  • 写真

    GLOBE+歌姫のタトゥーに学ぶこと

    サンドラ・ヘフェリンさんの眼

  • 写真

    sippo映画「ねことじいちゃん」

    柴咲さん「まるで猫セラピー」

  • 働き方・就活

  • 転職情報 朝日求人ウェブ