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企画特集 3【神奈川の記憶】

(44)関東大震災の朝鮮人虐殺

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■子どもの作文 惨劇生々しく

 ◆記録700点以上 時を超えた証言

 関東大震災の犠牲者の合葬墓が横浜の寺町、西区の久保山に整備されている。3300人の無縁仏を市が埋葬したといった由来を伝える大きな碑には1924年と建立年がある。震災の翌年に当たる。

 少し離れ「関東大震災 殉難朝鮮人慰霊之碑」がひっそりと立つ。碑銘のほかは「1974年 少年の日に目撃した一市民建之」の文字が背面にあるだけだ。

 一市民とはかまぼこ製造業だった石橋大司さん。小学2年生で震災に遭遇。住んでいた市中心部は壊滅的被害を受けた。半世紀を経て慰霊碑を市に提言したが採用されなかった。そこで私費を投じ建てた碑だ。

     ◇

 石橋さんが目撃した「朝鮮人の殉難」とはどのような光景だったのだろう。

 手がかりがある。小学生が震災体験を記した作文。市内で4校分が伝わる。3校は市中心部の学校だ。

 元中学教諭の後藤周さん(67)はこの作文を長年研究してきた。コピーが認められないため鉛筆で書き写す作業から始めた。

 その研究によると、9月1日正午前に発生した激しい揺れとその後の火災で市中心部ではほとんどの家が失われ、多くの子供が周辺の丘陵に避難した。

 「朝鮮人が放火し、井戸に毒を投げ込んだ」といった〈流言〉はすぐ始まった。「朝鮮人が来る」「武器を取れ」「殺していい」が〈流言〉の3要素だと後藤さんは指摘する。

 年長の6年生と、現在なら中学生に当たる高等科の子供たちの作文から、その様子を見てみよう。

 「ウワーワーと叫び声。朝鮮人だ。攻めてきたという声が聞こえた」

 「鉄棒を持って行って見ると3人の朝鮮人が大勢になぐられ、虫の息である」

 「アイゴー、アイゴーと朝鮮人のさけび声にウト、ウトした目はあいた」

 目にしたことをありのまま記したのだろう。「朝鮮人さわぎ」と呼ばれたようだが、具体的に何があったのかを時を超え証言する。

 「交番の前に朝鮮人が電信柱へ針金でぎりぎりにゆわかれ、鉄の棒で頭をぶたれている。川にも焼けた人やころされた朝鮮人があっちへ流れ、こっちへ流れ」

 「警察署の門内からうめき声が聞こえて来た。5、6人が木にゆわかれ、顔などめちゃめちゃで目も口もなく、ただ胸のあたりがぴくぴくと動いているだけ」

 「足と手をしばって学校の坂からひきずって橋からほっぽってしまった。それでもまだ上がってこようとした。皆で石を投げたりしたら、死んでしまった」

 記録を取りながら700点以上を読んだという後藤さんは「明らかになっている歴史事実と照合してみると作文の記述は正確です。恐ろしい朝鮮人から身を守ったという視点で書かれ、〈流言〉がうそだったことを知りません。震災の数カ月後に書いたようですが、大人が教えなかったのでしょう。被害者への同情を示すものは1点しか見当たりませんでした」と語る。

     ◇

 作文の内容にいち早く着目したのは小学教諭だった山本すみ子さん(77)。震災50周年だった73年に、生まれ育った横浜で何があったのかを知りたいと図書館に出かけ作文に出会った。

 それから43年。山本さんは仲間と一緒に今年9月、大人の体験記や当時の報道なども加え「関東大震災時朝鮮人虐殺 横浜証言集」として冊子にまとめた。450件を収録している。

 「何しろ天下晴れての人殺しですからね。トビで頭へ穴をあける、竹ヤリでつく」などの体験、目撃談が並ぶ。「自警団は竹やりや日本刀を持って、在郷軍人会員は銃剣を持ち出し、30余名の朝鮮人を包囲攻撃し重傷を負わせ、うち10名ほどは死体になって山林にうずめ、また池中に沈められた」との新聞報道もある。

 震災5カ月後の新聞には「数百人の白骨海岸に漂着」の記事も。「数百人の朝鮮人を殺害し大部分を海中に投棄」と報じている。

 冊子は1冊1千円。連絡は山本さん(ファクス045・942・7728)。

 中学校の副読本から横浜市教委は朝鮮人虐殺の記述を削除しようとしているとして反対の声があがっている。そもそも何があったのかを具体的に知る市民はどのぐらいいるのだろう。ためらいなく人を殺したのはなぜか。罪に問われることなく忘れ去ることができたのはなぜか。〈国際都市〉を掲げる横浜が目をそむけてすむ歴史なのだろうか。

 震災から70年経った93年に、79歳だった石橋さんは語っている。

 「多くの日本人は朝鮮人を虐殺したり、目撃しているのに口をつぐんでいる。恥ずべきことだ」

 (渡辺延志)

 【写真説明】

 (上)「一市民」が建てた慰霊碑。93年前の大震災で何があったのかを伝えている=横浜市西区

 (中)6年生の児童の作文。「とうとう1人の朝鮮人はつかまって殺されてしまった」と記している。2004年に南吉田小学校で見つかった559作の中の1点。市の施設に寄託される前に撮影された=後藤周さん提供

 (下)多くの人骨が海岸に打ち上げられたと伝える1924年2月の「やまと新聞」の記事。東京で出ていた日刊紙で、「虐殺」と認識されていたことも伝える=山本すみ子さん提供

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