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教育【青春スクロール】

平塚農業(2)

写真: 拡大

写真:(左、右上、右下の順で)榊原政敏さん、野村収さん、夏苅晴良さん 拡大(左、右上、右下の順で)榊原政敏さん、野村収さん、夏苅晴良さん

■歌にスポーツに のびのび芽吹く

 ヒット曲「結婚するって本当ですか」や、ドラマ主題歌「野に咲く花のように」などで知られるフォーク・デュオ「ダ・カーポ」の榊原政敏(67、1967年卒)は、高校生活を楽しみたいと横浜市戸塚区から通った。すぐ上の兄も卒業生で、その校風を知っていた。

 ブラスバンド部に入り、クラリネットを吹いた。学校をずる休みして友人と映画をみても、放課後は部活に参加した。学校行事で校庭を練り歩いたり、道路や橋の開通祝いで企業音楽隊の助っ人をしたり。「人前で演奏する楽しさを知った」

 大手食品メーカーに3年勤めた後、本格的に音楽活動を始めた。横浜で出会って、その後に結婚する広子さんとデュオを組み、デビュー44年になる。

 「マイペースで音楽に打ち込み、卒業前は感傷的になりクラスメートと恋愛の話もした。のどかな学校は僕に合っていた」

 プロ野球元投手で通算121勝、史上最初に全12球団から勝ち星を挙げた野村収(70、65年卒)は、夏の甲子園につながる神奈川大会で1勝もしていない。だが、それ以上に悔しい対戦があるという。

 3年春の地区大会での鎌倉学園戦。当時、県内屈指の強豪相手に1―1で迎えた終盤のピンチ。打席には後に巨人に入団する強打者、林千代作。「王選手を迎えたような雰囲気だった」。序盤に適時二塁打を打たれ、監督からは敬遠のサイン。当然の策だが、「今度こそ三振を取る」と意気込んでいた。後続を抑え、サヨナラ勝ちはしたが、その夜は疲れと悔しさで何も食べられなかったという。

 練習は厳しいとは言えなかった。鎌倉学園に入っていたら甲子園で投げたかも、と頭をよぎることもあった。だが、プロで40歳まで投げられたのは、平農で伸び伸びと白球を追ったからだと思う。「あのころ野球が楽しくてしょうがなかった」

 明治大学で箱根駅伝優勝メンバーとなる夏苅晴良(87、47年卒=旧姓久保)は、戦争で活動を停止していた陸上部を再開させ、「駅伝の平農」の名をとどろかせた一人だ。

 体育の先生に頼み、終戦の翌年に練習を始めると、30人くらいが集まった。平塚空襲で校舎は焼失、仮校舎の周りの道を裸足やたびで走った。戦中は勤労奉仕や軍事教練の毎日。みんな走れるのがうれしかった。「練習はつらいうちに入らない。声をかければついてきてくれたので主将の苦労もなかった」

 46年の県中等学校陸上大会の5千メートルで優勝。駅伝チームは47年の鎌倉一周継走、県下中等学校継走、第1回関東中等学校駅伝をすべて制した。「走れば優勝で、気持ちが良かった」

 箱根駅伝は48、49年と2年連続で地元4区(平塚―小田原間)を走り、いずれも区間2位で49年の明大優勝に貢献した。

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