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教育【青春スクロール】

横浜共立学園(1)

写真:真面目な生徒だった海老原 拡大真面目な生徒だった海老原

写真:新校舎の設計に携わった天野 拡大新校舎の設計に携わった天野

写真:横浜共立学園の本校舎=同校提供 拡大横浜共立学園の本校舎=同校提供

■乙女坂の先 隣人愛の教え

 横浜共立学園(横浜市中区山手町)に向かうには、JR石川町駅から二つの坂を上らなければならない。急な地蔵坂をしばらく歩いた途中で右に曲がる。続く石段が学校へ至る「乙女坂」だ。

 この坂道を、海老原育子(52、1984年卒)も毎日歩き、中学、高校の6年間通った。

 大手製薬会社、ジョンソン・エンド・ジョンソンのビジョンケアカンパニー(東京都千代田区)の代表取締役プレジデントだ。コンタクトレンズ「アキュビュー」の製造・販売を主に手がける同社のかじ取り役を担う。

 「学校が終わると、一目散に家に帰るような真面目な生徒でしたね」と海老原。勉強漬けの日々の中、帰り道、友人と歌を口ずさみながら坂を下っていった。歌うのは当時流行していた「たのきんトリオ」や、好きだった「オフコース」の曲。懐かしい思い出だ。

 同期は200人。4クラスしかなく、高校2年まで毎年クラス替えがあり、みんな仲が良かった。クラスの組長や副組長を何度も務めた海老原は、友人たちを「おっとり、伸び伸びしていて、粒がそろっていた」と振り返る。

 毎朝の礼拝に始まり、授業後のクラスルームでは賛美歌を歌い、聖書を読んだ。「自分以外のところに絶対的なものがある。ものの見方の一つの視座を与えてくれました」。多感な時期にキリスト教の「隣人愛」などの意味を考え、そして「正しい人」「善い人」という価値観を学んだ。

 東京大学に進学。その後は米国に13年間滞在し、60カ国でビジネスを展開するなどして、2016年から現職に就く。多忙な中、恩師も交えて同級生たちと年に4〜5回は会っている。企業のトップから、乙女に戻れるひとときだ。「共立で培われたものが、いまも続いていますね」

 海老原が高校時代を過ごした校舎は現在、パソコン教室や図書室など一部しか使用されていない。今春、新校舎が完成し、高校生たちはそこを学舎(まなびや)とする。

 その設計や建設などに携わったのが、天野由佳(34、2003年卒)。大手設計事務所の日本設計(東京都新宿区)に勤務する1級建築士だ。新校舎は、地下の礼拝堂に光が差し込むよう窓を多く設けるなど、こだわり抜いた。「母校の校舎に関わることができ、とても感慨深いです」と言う。

 絵を描くのが好きで美術部に所属。部長も務めた。高校1年時の文化祭で、校門のメインゲートにフルーツをイメージしたオブジェを作製。フランス印象派のルノワールの作品を同学年の部員と一緒に1年かけて模写するなど、部活にのめり込んだ。だから自然と、デザインの道に進んでいた。

 共立の良さは、先生たちにあると思う。いい距離感とバランスで接してくれた。高校2年時で、高校3年間の学習を終える共立は、3年になると受験モードに入る。勉強がつらくなり、落ち込んでいる時に、「大丈夫」「世界はここだけじゃないよ」と、そっと声をかけてくれる先生がいた。

 「隣人を愛する」という教えは当時、ピンとこなかったが、社会に出たいま、自分の人格を形成していることに気づく。「共立では努力し、諦めないことを学び、人に対して求められる以上のことをしたいと思うようになりました」

 天野は現在、本校舎の耐震補強の仕事も任され、ほぼ毎週、学校を訪れている。あの頃のように、乙女坂をのぼって――。

 (敬称略。石平道典が担当します)

     *

 1871(明治4)年、米国から派遣された3人の女性宣教師、プライン、クロスビー、ピアソンによって設立されたキリスト教(プロテスタント)の女子教育機関。中高一貫。「ひとりの人間を無条件に尊重し愛する」というキリスト教精神を根底にする。木造の本校舎は横浜市指定有形文化財第1号。

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