道・途・怪・路 -みち-
ミュージシャン斉藤和義にとって昨年は実り多い1年だった。春には痛烈な原発批判の替え歌「ずっとウソだった」が話題を集め、秋から冬にかけては超人気ドラマ「家政婦のミタ」の主題歌がヒットチャートを駆け上がった。壬生町に生まれ、宇都宮市で青春時代を過ごし、東京で花開いた。今年、デビューから19年目を迎える斉藤に、これまで歩んできた道、これから歩もうとしている道を聞いた。
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ずっとウソだったんだぜ/やっぱ、ばれてしまったな/ホント、ウソだったんだぜ
/原子力は安全です(2010年「ずっと好きだった」の本人による替え歌)
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昨年4月、インターネットの動画サイトに流れた映像が物議を醸した。サングラスの男がアコースティックギターを手に歌う。「ずっとウソだったんだぜ」――。斉藤和義のヒット曲「ずっと好きだった」の替え歌。原発を推進してきた国と電力会社に鋭い言葉の切っ先を突きつけた。後に男は、斉藤本人だったことがわかった。
3・11、東京の音楽スタジオで最新アルバム「45STONES」の制作に没頭していた。直後に福島第一原発爆発のニュース。国などの対応に怒りがふつふつとわいた。それを歌にするのは自然な行動だった。
「もっとね、いっぱいいろんなミュージシャンがああいうのやるんだろうなと思ってたんですけどね。あれ、(自分のほかに)いなかったんだっていう感じでしたね」
これまでも折々の社会情勢やそこから感じたことを楽曲の中に日記のようにつづってきた。
「俺はミュージシャンだからそうするのであって。まぁ、でもシンプルなことですからね、命か電気かどっち取るのかという話だろうと思いますし、金か命なのかという話でしょうから。もうわかってるじゃんって」
「怒りまかせに作った」部分もあったという今回のアルバムでは、物言わぬ社会への憤りをうたう楽曲が目立つ。
「これからが余計大変じゃないかと。放射能を海に垂れ流した賠償金の問題だったりね。原発をとっとと止めなきゃいけないのにと思いながらも、何かそんな空気でもない感じだし。そういうことに頭きたりしたのもあって、歌になってたりするのもある」
正直な気持ちがいま、社会に響いている。ドラマの主題歌「やさしくなりたい」は自身最高のオリコン6位を獲得した。
「伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらない。100人聞いて100人が良いなってありえないと思ってるので、それでいいんじゃないのって思います、うん、うん」
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夕暮れのオリオン通りには 帰らない人の群れに 苛立(いらだ)ちの爪
磨く僕のリズム(略)海へ行こう 夏が来る前に 君を誘い出して
(略)駅前のスタンドカレーは(放課後の) 最高のご馳走(ちそう)だね
(僕たちの)(2004年「オリオン通り」浜崎貴司と共作)
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2004年、宇都宮市出身のミュージシャン浜崎貴司(46)と意気投合し、書き上げた「オリオン通り」。青春の記憶を随所にちりばめた作品だ。
通っていた作新学院高からの帰りに仲間と毎日立ち寄ったカレー屋。オリオン通りを抜けると二荒山神社の階段を駆け上った。
「当時はオリオン通りに新星堂と上野楽器があって、毎日寄ってましたね。ギターを眺めてばかりいてね」
音楽を始めるきっかけは母親の勧めだった。大学進学で家を離れるまで、壬生町で玩具メーカーに勤める父と母、そして姉と妹の普通の家庭で育った。
「楽器を勧めたのはお袋で、学生がやってるからそこ行って教わってきたらって。でも俺がはまりだしたら、もうギターなんかやめなさい、勉強しなさいって(笑い)」
94年、子ども番組で使われた「歩いて帰ろう」が一躍注目を集めた。でも実は、歩くのはあまり好きじゃない。
「めんどくさいんで(笑い)。ウオーキングとかはまったこともありますけど、最近あんまり」
実家に帰った際、ふらりと車で向かうお気に入りの道がある。日光杉並木街道だ。
「夜がすごいんですよ。ヘッドライトを消して……消しちゃいけないんだけど、一瞬真っ暗になってまたつけて見ると、杉並木が迫ってくる感じで。昼間行っても荘厳な感じで、あそこは好きなんですよね」
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嗚呼(ああ) 唄(うた)うことは難しいことじゃない/ただ声に身をまかせ
頭の中をからっぽにするだけ(略)今日だってあなたを思いながら 歌うたいは唄うよ
(1997年「歌うたいのバラッド」)
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歌づくりによって救われ、気づかされることもある。数多くのミュージシャンにカバーされ、名曲と名高い「歌うたいのバラッド」もそんな一面を持っていた。
「歌は楽しくて好きでやってはいるものの、別に適当でいいんだって思ってたんだけど、違った。よく聞けば、ジョン・レノンやボブ・ディラン、ミック・ジャガーも、みんな実は音程がいい。べらんめえ調で乱暴に歌ってそうで、実はすごい歌がうまいんだなって気が付いて。もうちょっと俺も歌をちゃんとしたいなと思いつつ、歌なんて人に教わるもんじゃないと思うんで。まぁそう難しく考えることはないよって、自分に言い聞かす意味で作ったりもして」
一昨年、父親となった。少しは何かが変わったかと言えば、あるような、ないような。
「よく子どもができて、生まれてきた意味がわかったとか言う人いますけど、それはまったくわからないですね(笑い)。男の子だから余計にそうなのかもしれないですね、どうせ勝手にやるでしょうって」
ギター小僧からプロのミュージシャンへ。「いつかそうなるもんだ」と思っていた。今も先のことはあまり考えない。道は、後からできるものだから。
「自分で納得いくような曲ができて、それをなるべくいっぱい聞いてくれて、たくさんライブもやれて、お客さんが来てくれて。そういう状況が続けばいいなって。でもそれって大変だろうなと思うし、大変だって考えたらつらくなりそうだから、もう考えない。そん時でいいやって感じですかね」
どこまでもひょうひょうと、我が道を行く。(敬称略)
(聞き手・佐藤英彬、撮影・郭允)
<さいとう・かずよし>
1966年生まれ。93年に「僕の見たビートルズはTVの中」でデビュー。作詞作曲をはじめ、ギターのほか多種の楽器をこなすマルチプレーヤー。他のアーティストへの楽曲提供やプロデュースも手がける。3月31日に宇都宮市で予定されている公演は、売り出してすぐチケットが完売した。
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