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12月18日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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とりどり

家族を撮影する写真家 水本俊也さん

写真:持ち味は活動し続けること。そうするとアイデアが浮かんでくるという=昨年12月、鳥取市片原1丁目 拡大持ち味は活動し続けること。そうするとアイデアが浮かんでくるという=昨年12月、鳥取市片原1丁目

写真: 拡大

◆生きることの意味 映る気が

 2011年3月の東日本大震災から2年半後、家族の写真を鳥取砂丘(鳥取市)などで撮影し、県内外で展示する企画「小鳥の家族」を始めた。「なにげなく見ている自然を背景に家族写真を撮りたい」。被災地に行き、次第にそう思うようになった。

 鳥取市内のギャラリーに1カ月ほど前、鳥取砂丘で撮影した約50点を展示した。写真の中の家族は、ぎこちない笑顔を見せたり、そろってジャンプしたりしている。さまざまな表情や動き。家族や生きることの意味を考えさせる力を宿しているように思えた。

 撮影は昨夏。市内を中心に、募集に応じた35組が集まり、一組ずつ撮ったが、これまでと同様に近づいたり、離れたり、時にははいつくばってシャッターを切った。「自分が動かないで撮るっていうのはイメージがわかない」。その「動き」が持ち味だ。

 大学進学後、中国や東南アジアへ。その際、写真撮影に興味を持ち、それが仕事となった。20代後半の約3年間、「客船写真師」として定員500人以上の大型クルーズ船に乗り、船旅を楽しむ乗客を撮った。日本全国をめぐり、世界も2周したという。

 東日本大震災を目にし、古里の鳥取県と祖国・日本、それぞれの文化や伝統がかけがえのないものと思うようになった。「写真を通して、家族と鳥取、それに日本の歴史を積み上げていきたい」

◆被災地を訪れ自然と鳥取に

 ――フィンランドにあこがれていたそうですね

 高校の時からオーロラを見たいというのがあって。写真撮影の仕事でグリーンランドに行った時に見ることができた。昔から、いろんなものを見て、いろんな人に会いたい、という思いがあった。

 ――東日本大震災の被災地に行ったのはなぜ

 自然と足が向いたという感じ。大震災が起きてまもなくしてから、ボランティア団体に協力してもらい、宮城県石巻市に行った。ここがもし自分の古里だったら、どうなっていただろうと想像した。それから鳥取に目が向くようになった。

 ――写真家として、これからどんな写真を撮りますか

 今はスマートフォンがあって、だれでも撮影でき、たくさんの写真があふれている。写真の価値を上げていきたい。人と人の営みだけでなく、背景の文化や伝統、自然を写し込みたい。若い時は興味がなかったんだけど。

 ――それはすぐにできることでしょうか

 確かに難しい。鳥取は文化や伝統があり、自然にあふれている。写真と向き合っていく再入門の場所だと思っている。だから鳥取で活動することが多くなっている。

【取材後記・阿部健祐】

 2人のなれそめは? 住まいは戸建て? 子どもさんは何年生? 家族の写真を撮る際、そんな質問は一切しないと聞き、驚いた。自分なら被写体の情報なしに撮影できない。どう撮ればいいかわからず立ちすくんでしまう。独特の嗅覚(きゅうかく)があるからこそ、できるんだと感じた。取材がほぼ終わった時、今度は夜行バスで福岡へ行きますと言われた。鳥取へも夜行バスで来たという。「夜行バスの連続はきつい。年ですから」と笑ったが、タフさにも驚かされた。

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 みずもと・しゅんや

 1972年、大阪府生まれ。3歳ごろから八頭町で暮らす。八頭高校から北九州大学(北九州市、現北九州市立大学)に進み、中国語を学ぶ。大型クルーズ船の「客船写真師」を経て、航行するクルーズ船などを撮影する写真家になった。近年は鳥取に来ることが多くなり、八頭町の地域おこし協力隊員らと写真を通じて、まちおこしの活動にも取り組んでいる。横浜市在住。妻と子どもが2人。

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