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高校野球【夏へのエール 高校野球100回】

人づくり 次の世代へ 番外編

写真:2010年、箕島と星稜のOBによる試合で笑顔を見せる尾藤公さん=阪神甲子園球場 拡大2010年、箕島と星稜のOBによる試合で笑顔を見せる尾藤公さん=阪神甲子園球場

写真:左から尾藤強さん、石井毅さん、中本康幸さん、上野山善久さん=有田市の箕島高校グラウンド 拡大左から尾藤強さん、石井毅さん、中本康幸さん、上野山善久さん=有田市の箕島高校グラウンド

■箕島・尾藤公さんの教え子らの思い

 野球を通して教えたかったことがある。箕島高校の元監督・尾藤公(ただし)さん(享年68)は、厳しく、優しく、人を育てた。1979年に公立校唯一の春夏連覇を果たした当時の主将・上野山善久さん(57)、副主将・中本康幸さん(56)、エースの石井毅さん(56)、そして長男で現監督の尾藤強(つよし)さん(48)。4人のなかで名将の思いは生き続ける。

 尾藤公監督の指導はどのようなものだったのか。

 上野山 技術的なことはあんまり教えてもらった記憶がないです。社会の常識であったり、感謝の気持ちだったり、そういうことを教えてもらったことしか覚えてないですよね。怒られることもそういったこと。

 中本 監督が言ってたのは、うちで3年間野球をやって、社会でたくましく生きていける人間、当たり前のことを当たり前にできる人間になれと。野球を通じて学んだ考え方や人への接し方、これは必ず社会に出たときに役立つぞと。

 石井 サイドスローに転向した後、調子悪くなったときに監督に「どうしたらええですか」って言うたら、「ほんなもん自分で考えろ」って。もう二度と聞かんわと思って。でもね、その一言が僕の人生にプラスになっているんですよ。そこでなにくそって気持ちがあって、最終的には優勝もでき、プロにも行けた。いま思い返すと、僕の野球人生の中では一番の言葉をいただいたと思います。

 上野山 60人いたら60通りの教え方をする。天性のものというか、尾藤監督にしかできないと思いますね。

 中本 レギュラーも補欠も関係なしですわ。

 甲子園では尾藤スマイルで知られる。

 上野山 和歌山大会で笑顔は見たことない。怒ってベンチにいないときもありますから。練習で怒るのは100%の力を出していないとき。2歩動けば捕れる球を1歩だけで捕りに行ったとか、そんなのやったらノックバット放って「もうやめじゃー」って帰ってしまう。

 尾藤強 僕は当時小学生で、起きているときに家におやじがいることがなかったんですけど、たまに夕方帰ってくるときがあるんです。それはグラウンドで怒って帰ってきたとき。僕も箕島のファンで、たまたまおやじがそこの監督で、おやじが早く帰ってくると誰か選手が家に来てくれるってうれしかった。

 中本 上野山と一緒に謝りに行きましたね。「監督、野球教えて下さい」って。でもね、行ったらウナギどんぶりが出てくるんですわ。「お前ら来ると思っとったよ。また明日からやろう」って。そんな感じで。

 尾藤強 一人で家におることがほとんどなかった。誰かしら連れてくるので。OBの方とかが訪ねてきてくれたときはうれしそうな顔をしてましたね。亡くなるまでずっとそうでした。

 上野山 招待試合のときにちょっと危ないラフプレーがあって。そのときに監督が「お前なにしてんのじゃー」って誰よりも先に行って烈火のごとく怒った。逆に(1979年夏の箕島―星稜戦で)転倒してフライを捕れなかった星稜の加藤直樹君に対しては、それまで落球のせいで負けたとか言われてたから、15年後に紀三井寺で親善試合をやったとき、顔を見るなり「よかったー」って抱きつきに行ったんですよね。悪いことには全力で怒るし、感動したら周りのことを考えずに喜怒哀楽を出す。ああいうことはなかなかできないと思います。

 高校野球を愛し、教え子に愛された野球人だった。

 石井 箕島の選手はもちろん、高校野球のためにいろんなところで貢献された功績はすごく大きい。これから高校野球が続いていくなかでもずっと残ることだと思うので、僕らも次に伝えていくということはせんといかんなあと。

 尾藤強 おやじはいろんな人に巡り合えていろんな縁があって、実績も作ったかもわからないですけど、人づくりをしたと思います。おやじがやったことを僕は僕なりに、今の時代にどうやって伝えていくか。そのことをがんばるよって、言いたいですね。

◎びとう・ただし

 1942年、有田市生まれ。66年から箕島の監督を務め、春8回、夏6回甲子園に出場し、計4度優勝。95年に監督を引退後、日本高野連で若手指導者の育成に尽力した。2011年死去。

◎うえのやま・よしひさ

 79年に春夏連覇したときの主将、二塁手。有田市在住でNTTビジネスアソシエ西日本に勤める。

◎なかもと・やすゆき

 79年に春夏連覇したときの副主将、三塁コーチ。現在は湯浅町職員。

◎いしい・たけし

 79年に春夏連覇したときのエース。住友金属を経てプロ野球西武入団。現在は有田市を中心に野球普及活動に励む。現本名は木村竹志。

◎びとう・つよし

 79年に春夏連覇したときは小学4年生。箕島に進学し、父のもとでエースとして活躍。2013年に監督に就任し、同年に29年ぶりの夏の甲子園へ導く。

(聞き手・大森浩志郎)

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