三笠宮さまは戦後、一転、学問の道を歩む。

 東京大名誉教授(社会人類学)の中根千枝さん(89)は1947(昭和22)年に入った東京大文学部で、研究生だった三笠宮さまと一緒によく同じ講義を受けた。

 ほかの学生たちが遠慮がちに接するなか、中根さんは隣の席に座った。「宮さまが公務で授業を欠席すると、私が自分のノートを貸したり、私が遅刻すると、宮さまが『きょうはここまで』とノートを見せてくれたり。普通の友人のように接していただいた」と懐かしむ。

 戦争に対する反省、一般の人々への接し方、そして学問への探求心――。三笠宮さまの振る舞いに対して、中根さんは「縛られない自由さ」を感じていたという。「それは、特別な地位にあったからであると同時に、精神の純粋さがあったからでしょう」と話す。

 その純粋さは、言動にも表れた。

 戦後、2月11日が「神武天皇即位の日」だとして戦前の「紀元節」を祝日として復活させようという動きに対し、三笠宮さまは歴史学者の立場から「歴史的根拠がない」と、56年ごろから学者の会合や論文で反対を表明した。

 大本営陸軍参謀などとしてかかわった戦争への思いも率直につづった。56年刊行のオリエント学入門書「帝王と墓と民衆」の「わが思い出の記」と題した章では「罪もない中国の人民に犯したいまわしい暴虐の数かずは、ここにあげるまでもない」「聖戦という大義名分が、事実とはおよそかけはなれたものであった」と記した。

 84年出版の自伝的著書「古代オリエント史と私」でも「今もなお良心の呵責(かしゃく)にたえないのは、戦争の罪悪性を十分に認識していなかったことです」とつづり、その反省が戦後、歴史研究に向かうきっかけになったと明らかにした。

 現憲法の制定に際しては46年6月、昭和天皇も出席して憲法案を採択した枢密院本会議で発言した記録が国会図書館に保存されている。記録によると三笠宮さまは、新憲法案の戦争放棄を積極的に支持、日本の非武装中立を主張した一方、「マッカーサー元帥の憲法という印象を受ける」などと述べて、採決は棄権したという。

 55年、東京女子大講師に。軍関係以外の大学の教官になった皇族は、当時初めてだったという。昼は学食で1杯20円のきつねうどんを好んで食べた。その後、「宮さまうどん」と名付けられた。講義は青山学院大学などで行われた。

 同年にはラジオで古代オリエン…

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