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 「保育園を考える親の会」代表として、幼い子どもを持つ親たちの声に耳を傾け続けてきた普光院(ふこういん)亜紀さんに、子育てをめぐる社会の変化を聞きました。

     ◇

 ――ご自身が出産された27年前の状況は。

 普光院 出版社で編集の仕事をしていて、1987年に第1子を生みました。86年に施行された男女雇用機会均等法で、事業主の育児休業制度をつくる努力義務が定められ、社長が「つくってみるか」と育休制度をつくってくれました。当時の民間企業では本当に珍しいことで、私はあちこちのメディアから取材を受けました。90年に第2子を出産して育休を取りました。このときは92年に成立する育児休業法の検討に入った時期で、またもや多くの取材がきました。それくらい珍しかった。

 ――親の会とのかかわりは。

 普光院 親の会は、保育園に子どもを通わせる保護者のネットワークで83年にできました。私は、第1子が88年に保育園に入ることになり、親の会が開いたイベントに参加したことが始まりです。当時、認可保育所で0歳児保育はあまりやっていなくて、産休明けに保育ママか認可外保育所に預け、1歳で認可に入るのが一般的でした。待機児童は、今ほどはひどくなかったです。働く母親がこんなに多くなかったので。しかも働く母親のほとんどは公務員か自営業者で、会社員の母親には親の会の会合に行かないとあえませんでした。

 ――20数年で変化が大きいですね。

 普光院 92年に育児休業法ができたころから、会社員の母親がすごく増えました。96年に、これから保育園に入る子どもがいる保護者向けのイベントを開きました。イベントのことが新聞報道されると、一日中電話が鳴りっぱなしになりました。当時はメールも普及していませんから。このとき私はムーブメントを感じました。それだけニーズがあって、世の中変わってきていると感じました。それが90年代後半です。

 でも、ほとんどの職場は男社会だから「出産するなんて何事か」「そんな私的なことで仕事を休むなんて」と言われ、このころの母親の緊張感といったらすごかった。男の人に負けてはいけないという意識が強いキャリアウーマンが多かったです。

 ――ニーズがあってとおっしゃいましたが、認可保育所の数は減った時期では。

 普光院 認可保育所の数そのものは87年ごろがピークで、それから整備が止まっていました。90年ごろは定員に満たないところもあった。都内では待機児童がありましたけど、地方では空きが多いなど、地域でばらつきがありました。

 自治体は油断していたのでしょう。少子化だから認可保育所は減っていくしかないと頭にあったのでは。自治体関係者の読みの甘さ、時代の変化を見落としていた感じがします。

 ――20年以上活動され、この間の変化は。

 普光院 90年に前年の合計特殊出生率(1人の女性が産む平均的な子どもの数)が過去最低の1.57となったことがわかり、社会問題になった「1.57ショック」もあって、国はその後、認可保育所の拡充を進めました。当時は少なかった0歳児保育や延長保育も今はほとんどの認可保育所でやっています。育児休業法も見直しが重ねられてきました

 会社員の母親が珍しかったころは「男性と肩を並べて仕事をしなくては」という気持ちが強かったのですが、今は本当に普通に、仕事も大切にしたいけれど子育ても大切にしたいと考える母親たちが増えているのを感じています。

 だからこそ、職場も、もっと普通に無理せず両立できるような状態にしないと続かないですよ。もちろんベビーシッターを頼んだり、夜遅くまでやっている保育園に預けたりして残業をこなし、頑張ってキャリアを伸ばす人もいます。でもそこまで無理したくないけれど、仕事は続けたいし子どもも産みたいという人が両立できるようにならないと、「安心して産み育てられる社会」「女性が輝く社会」にはなりません。そのためには、24時間会社のために働ける男性と、出世からはずれた母親専用のコース「マミートラック」の女性という図式は変えて、男性も女性も、仕事も子育てもするのが当たり前に受けとめられる職場風土をつくる必要があります。

 ――親の悩みや相談は変わって…

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