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 KADOKAWA・DWANGO社長の川上量生さんに、「教養」について聞いた。

     ◇

――川上さんにとって、「教養」とは何ですか。

 教養とは、ある時代のあるクラスター(集団)の人たちにとって、コミュニケーションをするのに最低限必要な共通言語ということではないでしょうか。

――たとえばどんなものでしょうか。

 いま日本のインテリに通じる教養って何でしょう。理想はともかく、現実は。文学的な教養でいうと、たとえばみんなが分かるのは何ですか。村上春樹ですか。

――夏目漱石やシェークスピアでしょうか。

 夏目漱石やシェークスピアは、明らかに読まれていない。村上春樹も知識人と呼ばれる人って意外と読んでいないんじゃないでしょうか。ネットを見ていると、みんなが本当に知っていて、共通言語としてひねったことを言う時に使われているのは、「ドラゴンボール」とか「北斗の拳」「ハンターハンター」、つまり「ジャンプ」ですよ。

 欧州中央銀行の会見でドラギ総裁に女性が襲いかかる事件が起きた時、「女性の南斗水鳥拳にドラギ総裁が気功砲で応戦した」とネットやテレビで話題になった。社会で何かが起きて気の利いた風刺をしようとした時に出てきたのが「北斗の拳」の例。知的な笑いを表現しようとしたら、その素材は「ジャンプ」になった。昔の人の「オデッセイア」にあたるものは、今の日本人には「ドラゴンボール」ですよ。残念ながら日本のインテリの教養の原点は「ジャンプ」だというのは、現実として認めないといけない。

 その他の教養は、それぞれのクラスター内での教養です。社会全体の教養にも、知識人全体の教養にもなっていない。

 人文・文学の世界で教養というのは、専門分野での教養だと思う。それを「今の社会人が身につけるべきだ」、「すべての日本人が身につけるべきだ」といった瞬間に、疑問が出る。誰もがやるべき教養があるのかというと、そんな教養は今のところない。みんながそれぞれ「これが教養」といっているものしかない。社会の中で共通になっていない以上、共通言語としての教養ではない。

 共通言語がないとレベルの高い議論ができません。共通の教養像を日本社会に作らないといけないが、うまくいっていない。

■「初音ミクはニコ動が生み出した教養だ」

――何か新しいものを発想する時に教養を使うことがあると思いますか。

 共通言語としての教養はみんなが知っているものだから、そこからは同じアイデアしかでてこない。ただ、各ジャンルの中だけで必要な教養を、複数のジャンルにわたって知っていれば、誰も出せないアイデアが出せる可能性は高いと思う。二個も三個も四個も五個もジャンルをまたがって知ることが、競争力を生むと思う。「自分だけの教養」になる。