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 昨年、海外の映画祭に作品が正式出品された北九州市出身の映画監督タナダユキさん(40)。今年、新作映画も公開されるタナダさんに故郷への思いと自身の「表現」について聞いた。

 ――生まれは北九州と聞きました。

 実家は北九州の戸畑区にある商店街の魚屋さんでした。子どもの頃は色んな店があって活気があり、様々の人たち、ホームレスみたいな人もいる雑多な雰囲気。だんだん人口も減っていき、小学生の高学年ごろから、シャッターも目立つようになりました。通っていた小学校も中学校も統廃合でなくなりましたしね。

 ――子どものころから映画好き。

 幼いころは舞台に興味がありました。お話を作るのは好きで、小学3年くらいから書いていましたね。ファンタジーっぽい、たわいない話。ある子どものところにサンタクロースが来て、みたいな話ですが、ハッピーエンドではなかったと思います。

 高校は演劇コースに進みました。先生がチベット密教にはまっていて、全身タイツを着せられ(両ひざや両ひじ、頭を地につけて礼拝する)「五体投地」をさせられ、半泣きでした(笑い)。でも、ダンスや日舞の授業は面白かったです。

 ――作品ではどんな人の人生も「肯定」している印象を受けます。育った環境と関係ありますか。

 意識はしていないですけど、雑多な人がみんな、それぞれの人生を享受して生きてたなぁと。影響があるのかもしれませんね。

 それに子どもの頃、「おしん」を見てから学校に行ってたんですが、子ども心にも、おしんの境遇が「つらそうだな」と思うわけですよ。でも、祖母が「こんなの全然かわいそうじゃない。おばあちゃん、こんなことしよった」って言うわけです。どんな境遇も当事者から見たら普通のこと、かわいそうと思うのは違うんだなぁと。

 ――作品は、ハッピーエンドで終わらない印象があります。

 私の映画はいわゆるハッピーエンドでは終わりません。育った環境が影響しているのかもしれません。映画を見ていてハッピーエンドは気持ちがよくても、その先が気になる。私にとってのハッピーエンドは、状況は同じでも「モノの考え方、見え方」が変わること、ですね。「自分の人生に折り合いをつける」という意味では、ハッピーエンドにしていますね。最初に作ったお話も、そういう意味ではハッピーエンドでした。

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