【動画】ラグビーW杯日本代表・福岡堅樹さんから受験生へ=瀬戸口翼撮影

 昨年秋、日本中を沸かせたラグビーワールドカップ(W杯)イングランド大会。W杯で初めて3勝を挙げた日本代表のメンバーに、筑波大学4年生の福岡堅樹選手(23)がいます。将来は医師を目指すという福岡選手には、浪人時代に大きな「決断」がありました。

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 初めてのW杯で、2戦目のスコットランド戦に先発しました。試合の時は感じませんでしたが、振り返ると、ほかの選手たちは逆転勝ちした南アフリカ戦の疲労があったように思います。他の試合と比べると、明らかにミスが多かった。自分としても相手を崩すプレーがなかなかできず、いい場面でボールをもらうことができなかった。試合にも負け、完全燃焼かといわれるとそうではありません。

 でも、日本の歴史でこれだけW杯で勝利したチームは初めて。帰国してからの反応はすごかった。地元の福岡では声をかけられるようになりました。チームに同行できて、つらい思い出も一生語り合えるような貴重な経験ができたことは大きな財産です。エディさん(エディ・ジョーンズ前ヘッドコーチ)の練習は本当にきつかったので、もう1回したいかと言われれば遠慮したいですけど。

■父親の影響で始めたラグビー、けがで出会った医師の存在

 5歳から地元のクラブでラグビーを始めました。高校と大学でラグビー選手だった父親に連れられて。小さい頃から足が速かったので、ポジションは中学生からウィング。スピードで相手を振り切り、触らせずに抜き去った時は爽快です。

 ただ、中学生の時はラグビーで上を目指そうとは思っていませんでした。いくつかの高校から誘いがありましたけど、開業医の祖父の影響で医学部に行きたいと思っていたので、高校は文武両道の県立福岡高校に進みました。

 高校では1年生からレギュラーで出させてもらいました。でも、けがも多かった。2年生で左ひざ、3年生で右ひざの靱帯(じんたい)を断裂しました。3年生の時は花園(全国高校ラグビー大会)の福岡県予選が迫っていたので、手術をせず、テーピングでガチガチに固めて試合に出ました。花園にも出場できたので、3カ月間、靱帯がないままプレーをしました。

 両ひざの手術をしてくれたのは同じ整形外科の先生です。何事にも明るく、ポジティブに考えさせてくれる人で、「この先生の言う通りにすれば、しっかり復帰できる」と信じさせてくれる温かさがありました。先生に出会ったことで、より医師を目指す気持ちが強くなりました。

■浪人時代の受験校選択、浮かんだ三つの道

 志望校は国立大の医学部を考えていたので、強いラグビー部がある筑波大を目指しました。だけど、花園が決まった3年生の秋の時点で現役の合格は諦めていました。授業の範囲の勉強しかしなかったので、センター試験は医学(筑波大は医学群)の基準に全然足りなかった。2次試験も、解けないという感じではなかったけど、点数が足りなかった。

 浪人中は予備校に通っていました。勉強量は少ない方だったと思います。集中力が長く持つ方ではないので、帰宅してからは1~2時間勉強するぐらい。授業も自分に必要な部分をしっかり聞いて、問題を解き、理解を深めることを繰り返しました。

 受験勉強の一方で、手術をした右ひざのリハビリを並行してやっていました。大学のラグビー部に入った時についていけるよう、ジムで水泳やウェートトレーニングもしました。ラグビーの試合もテレビやDVDでよく見ました。トップリーグ、大学、高校ラグビー。自分ができない状況で試合を見ると、またプレーしたくなる。筑波大でラグビーをしたいという気持ちが大きくなり、受験勉強のモチベーションになりました。

 センター試験後に出願する国立大の2次試験で、前期は筑波大の医学にしました。後期の受験校をどうするか、すごく迷いました。選択肢としては、厳しい条件になっても筑波大の医学を再び受け直すか、レベルを下げて合格の可能性の高い国立大の医学部を受験するか。もう一つは筑波大の医学ではない学群を受ける選択がありました。センター試験は自己採点で9割弱ぐらいの点数を取れていたので、予備校の先生からは「筑波にこだわらなければ、ほかの国立大の医学部は大丈夫」と言われていました。両親にも相談したし、自分でも悩みました。

■「後悔のない選択をしよう」

 その時、心の中にあったのが、「一番、後悔のない道を選ぼう」ということでした。そう考えた時、最も後悔すると思ったのが、ラグビーを捨てる選択。「ラグビーで自分はもっと上にいける」という思いがこの時期にはあったので、筑波以外の大学を志望する選択肢は消えました。

 次に「2浪してしまったら」という選択肢。2年間、体を動かさない状態になってしまうと、第一線でプレーする身体に戻すのは厳しい。「ラグビーを本気でしたいなら、ラグビーに集中するしかない」。結果、筑波大の別の学群を受けることに決めました。両親も「ラグビーを引退した時点で、医学の道に進みたいと思っているならサポートする」と言ってくれました。前期試験は数学で失敗し、医学群の合格には届きませんでしたが、後期試験で情報学群に入学することができました。筑波大では、1年生の秋から試合に使ってもらえました。2年生の春には日本代表に選ばれました。

 卒業後はプロに入るつもりです。その後は2019年のW杯、20年の東京オリンピックまでラグビーに集中します。二つの大会は経験的にもフィジカル的にもキャリアのピークで迎えられると思うので、そこで成功できれば自分としては満足。ラグビーを引退して、スポーツ整形の医師を目指すつもりです。日本代表のチームドクターになれたら、これほど説得力のあるドクターはいないと思うので、いいなと思っています。

 受験生には、後悔しない選択をしてほしい。志望校が難しかったり、両親や先生から色々言われることもあったりすると思うけど、考えて選んだ結果なら納得がいく。難しい道でも、挑戦し続けてほしいと思います。諦めず、後悔しない道を選んでください。(聞き手・丹治翔)

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 ふくおか・けんき 筑波大学情報学群情報科学類4年生。福岡県古賀市出身。5歳から「玄海ジュニアラグビークラブ」(福岡県宗像市)でラグビーを始め、県立福岡高校3年生の時に全国高校ラグビー大会出場。筑波大では2013年、2015年の全国大学選手権準優勝に貢献。日本代表キャップは17。50メートルを5秒8で走る俊足が持ち味。23歳。