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 1991年2月。2年後に開幕する国内初のプロサッカーリーグの10チームが発表された。日本サッカーリーグ(JSL)の「読売クラブ」に在籍していた三浦泰年さん(50)は、ともに静岡出身でチームメートだった堀池巧さん(50)と、定食屋で発表のテレビニュースを見ていた。

 読売クラブや日産自動車といったJSLで実績のあった企業系チームが選ばれる中、JSLに加盟していなかった市民クラブ「清水FC」の名があった。

 「他のJSLのチームを差し置いて、市民クラブが選ばれたのは衝撃でした」と泰年さんは思い出す。

 「Jリーグ」と名付けられたプロリーグは、参加条件に従来の企業スポーツからの脱却を図り、地域に根ざした欧州のクラブ組織を理想とした「フランチャイズ制の確立」を掲げた。Jリーグ入りが決まった清水FCは、清水エスパルスと名前を変えて始動。エスパルスは、市民の賛助で成り立つJリーグの理念を体現するチームと見られた。

 チーム創設に尽力した堀田哲爾・元県サッカー協会理事長(故人)は、県出身者を中心としたチーム構想を描いた。その中には静岡市出身の三浦知良(かずよし)選手(48)も入っていた。ブラジルの名門チーム・サントスFCとプロ契約し、90年に帰国後は読売クラブにいた、あの「カズ」だ。

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