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 モデルとして活躍する佐藤かよさん(27)。男性として生を受け、女性として生きたいと悩み続けた日々、いつも支えてくれたのは母でした。子育てがつらいと感じたこともあったという母が今、振り返って思うこととは。それぞれに聞きました。

■学ラン嫌で家出

 転機は中2の夏だった。

 「『女の子として暮らしてみたい』という気持ちを抑えきれなくなったんです」。物心がついてから、自分は女の子だと思っていた。学ランが嫌で不登校気味になり、母にだらしないと叱られ、家を出た。約3カ月間、女友達の家を転々とし、化粧品や服を見に行ったり、カラオケをしたり。「素の自分でいられる居心地のよさ。もう男の子の生活には戻れないと分かりました」

 母は捜索願を出し、息子を捜し回った。夏のある日、連絡を受けて駆けつけると、ふてくされた様子で待っていたのは、茶髪に派手なメイクのギャル。母は怒らず、「好きな服を着ていい。二度といなくならないで」と言った。

 「病院に行ってみる?」と母に誘われたのは15歳の頃。どうしたら女性になれるか、婦人科で女性ホルモン治療の説明を受けた。「元には戻れなくなるけど、後悔しない?」と心配する母に「男性として大人になるくらいなら、苦労が増えても女性として生きたい」と言い切った。だらだらした生活から一転、アルバイトに励んだ。朝が早くても、休みがなくても、自分を押し殺していた学生生活より楽しかった。

■母の言葉で決心

 アパレル店で働いていた時、ファッション雑誌の読者モデルにスカウトされ、テレビや広告の仕事が増えた。そんな時、モデル事務所の社長の一言に足が震えた。「まさかと思うけど、君が昔、男だったというメールが来てるよ」。カミングアウトすればウソつきと呼ばれ、仕事もなくなる。だが、銀行口座も作れないような生活を続ける自信もない。過去の自分に足を引っ張られる悔しさ。泣いて母に相談すると、こう言われた。「本当のことを伝えて離れていく人とは、そこまでの関係。それでも仲間だと思ってくれる人を大事にするの」

 告白すると、社長は驚いて椅子から転げ落ちた。でも「男か女かは関係ない。君にしかできないことがある」と励ましてくれた。テレビでカミングアウトし、「正々堂々と生きていけると心から思えた」。学校でわかってもらえなかった経験も、今は良かったと思える。「居場所は自分でつくるしかない、そう思えるようになったから」(文・前田育穂、写真・佐藤正人)

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 《さとう・かよ》1988年、名古屋市生まれ。女性誌のモデルを経て、テレビの情報番組などに出演。モデルとして海外進出するのが夢で、英語や韓国語を勉強中。

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■長い目でつきあうのがいい 母・明子(めいこ)さんに聞く

 小さい頃から、人形やアニメのセーラームーンが大好きでした。一つ上のお兄ちゃんは、戦隊ヒーローやサッカー、勉強が好きだったけれど、あの子はあまり興味を示しませんでしたね。

 中学生で不登校ぎみになり、生活が荒れ始めた頃は、私もイライラ全開。正社員として働いていたので、そうそう休むわけにもいかなかったんです。朝、出勤するけど、心配で昼休みに家に電話する。そんなことがしょっちゅうありました。

 不登校という状態を、何とか解消したかった。親として、せめて高校までは出してやらなくてはと思っていましたから。あの子は昔から友達に恵まれて、学校は大好きだったんです。部活のブラスバンド部も頑張っていた。でも、学ランだけは着たくないと。

 体操着での登校を認めてくださいと、学校に相談しましたが、ダメでした。学校に行きたいのに、学ランを着ないと門の中に入れてもらえない。本人も私もつらかったですね。

 3カ月の家出の間は、最悪の事態も考えて食事がのどを通らず、体重が10キロ近く落ちました。

 迎えに行った日のことは、今もよく覚えています。とても暑い日でした。あの子は、見つかったことにイライラ。私は、ギャルみたいな格好をしていることにイライラ。お互い無言で、暑い中をとぼとぼ歩いて帰ってきたんです。

 帰ってきたら気が抜けちゃって。学校には行ってほしいと思いましたが、口やかましく言っても響かないだろうし、しばらく様子を見ようと。そのうち、もう、生きていてくれさえすればいいと思うようになりました。

 それでも、通信制高校や美容師の学校など、進路の情報は探し続けました。男性でも女性としてでもいいから、将来の道を探してあげるのが親の義務だと思っていた。ただ、何を提案しても、「うーん」という反応で。我が子ながら、一体何を考えているのか、どう生きたいと思っているのか、全く分からなかった。

 でも、今思えば、次元が違っていたんですね。親としては、将来のことがとにかく気がかり。でも、本人はもっと根本的な部分で「どうしたら女の子になれるのか」とずっと悩んでいた。ずれていたんですよね。

 私の中では、学歴という物差しからも長らく離れられなかった。けれど、一歩引いて考えてみれば、学校なんて人生のほんの一時期のこと。人と比べず、もっと早くから得意なところを伸ばしてあげればよかったと、今では思います。

 心療内科に相談に行ったこともあるんです。こんなにつらい子育てをしているのは自分だけだと思ってしまっていたけれど、待合室に入ったら、同世代の親子で満席。皆、悩みながら子育てしてるんだって、肩の力がちょっと抜けました。

 子育てって、本当に面白いものでね。大学生のお兄ちゃんより先に、10代後半でいっぱしに稼いでるわけでしょ。「幸せの切符」なんて、どこにも売っていない。長い目で、子どもの人生に付き合うくらいのスタンスでちょうどいいんじゃないかと、今は思っています。

 実は、今も私の中で100%、理解できているわけではないんです。男の子の体で生まれてきたのに、どうしてこうなったのかなと。どんなに頑張っても、100%は理解できない。でも、そんなことはもういいんです。私が認めるとか認めないとかいう段階は、とっくに過ぎました。あの子が社会でどう認めてもらうか、自分で役割を考えて生きていく姿を見守りたいと思います。