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 東京電力福島第一原発の南15キロにある福島県楢葉(ならは)町。原発事故で国から避難指示が出て、人がいなくなった。5年近くたったいまでは廃炉や除染作業の拠点になり、作業員向けのプレハブ宿舎が立ち並ぶ。政府は昨年9月、放射線量が下がり帰還できる状況になったとして、全域避難した7町村で初めて避難指示を解除した。

 小野勇誠さん(68)は妻洋子さん(68)と福島県いわき市の仮設住宅から自宅に戻り、建具の製造を再開した。荒れ果てた町内の住宅を修繕する人から、注文が入ってくる。「みなに楢葉に戻ってきてほしい。そのためにという使命感で働いている」

 だが、不安は尽きない。持病で通っていた隣町の医院は再開されていない。夜、周囲で明かりがともるのは自分の家だけ。洋子さんは「外で足音がすると怖い」という。

 政府は楢葉町を帰還政策のモデルにしようと、仮設商店街や電気、水道などインフラの復旧をいち早く進めた。しかし、町に戻ったのは421人(1月4日現在)。町民約7400人の5・7%にとどまる。その7割は60歳以上で、20歳未満は5人しかいない。

 遠藤昇さん(43)一家は事故前、町内で家族5人で暮らしていた。今は実家のある東京・吉祥寺で、そば屋の手伝いをしている昇さんと長男昇汰君(9)が一緒に暮らす。妻克子さん(40)は仕事の都合でいわき市のアパートで一人暮らし。克子さんの両親も市内の別のアパートに暮らす。

 来年4月、町内で小中学校が再開する。だが、昇さんはすぐに戻るつもりはない。「やっと昇汰も東京の学校に慣れた。楢葉に帰りたいけど、子どもに負担をかけられない」という。

 「避難指示が解除されても町を元に戻すのは難しい」。町でパン屋を経営していた八橋真樹さん(44)はいう。昨年5月、町民の75%が避難生活を送るいわき市で店を再建した。商店主は住民が戻らない町内での再建には二の足をふむ。一方、住民は商店がなく不便なので町に戻らない。悪循環に陥っている。