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 流線形の車体が北へ向かって駆け抜ける。東京―新青森間713・7キロを最短2時間59分で結ぶ東北新幹線「はやぶさ」(最高時速320キロ)。歌手の新沼謙治さん(59)もプライベートでよく利用している。

 2011年3月11日の震災で、実家のある岩手県大船渡市の街が津波に流された。半年後の9月には、都内の病院に入院していた妻を病気で失った。

 「でも、ふるさとの人たちが『奥さんの分まで頑張って』と応援してくれました。僕が元気になることが、ふるさとや妻への恩返しになると考えるようになりました」。定期的に帰省し、今年の正月も母や姉妹と過ごした。

 中学卒業後、栃木で左官職人の見習いを約3年間していた。だが「一度はテレビに出たい」という一心で在来線に乗って上京し、オーディション番組「スター誕生!」に応募。ようやく5回目で予選を通過し、決戦大会で合格した。「おもいで岬」でデビューしたのは1976年、19歳のときだった。

 作詞家の阿久悠さんが言った。「君らしく生きなさい」。土のにおいのする歌唱と、東北なまりが残る飾らない人柄。「嫁に来ないか」や、「ふり向けばつらいことばかり」の東京を捨てた男と女が北へと向かう「ヘッドライト」など数々のヒット曲を出してきたが、レコードのB面にも気に入った歌が多いという。「A面に選ばれる歌はいかにも『直球勝負』って感じだけど、B面は人間的で優しいのがいい」

 大宮―盛岡間に新幹線が開業した82年に出した「夢の東北新幹線」もB面だった。緑のラインが入った「やまびこ」と「あおば」が、最高時速210キロで疾走。在来線で6時間以上もかかっていた上野―盛岡間は3時間台になり、首都圏が日帰り圏になった。

 「新幹線は東北の悲願。夢のようでした」と新沼さん。85年に上野、91年に東京まで延伸され、北の玄関口は東京になった。その東京から新沼さんが仕事に向かうとき、ファンがホームで見送るのが恒例の行事となっている。売店で一緒に駅弁を買い、窓越しに手を振って別れを惜しむ。

 「こんなことやっている芸能人って俺だけかもね。でもね、ファンを大切にしたいんです」

 国鉄時代、東北新幹線と東海道新幹線が線路でつながり、東京駅で相互乗り入れする構想があった。だが電気の周波数が違う両新幹線に共用できる新車両の製造や、信号、列車制御系統の手直しには多額の費用がかかる。東京駅での東海道の乗降客数は東北よりはるかに多く、東海道にすれば直通運転のメリットは少ない。数々の課題が立ちはだかり、構想は実現しなかった。

 新沼さんは言う。「東北は東北。我が道を行くでいいんじゃないかな」

 夜、丸の内の赤レンガ駅舎はライトアップされ、幻想的なムードを醸し出す。新沼さんのヒット曲「津軽恋女」を思い出した。こな雪、つぶ雪、わた雪、ざらめ雪、みず雪、かた雪、春待つ氷雪。津軽には七つの雪が降るという。きっと今ごろは一面の銀世界だろう。私は北へ向かった。(編集委員・小泉信一