落語界の大御所の一人で、戦後衰退していた上方落語を復興させた「四天王」の最後の一人だった三代目桂春団治(かつら・はるだんじ、本名河合一〈かわい・はじめ〉)さんが9日午前0時11分、心不全のため大阪市内の病院で死去した。85歳だった。葬儀は親族と直弟子で営んだ。喪主は妻成子(しげこ)さん。

 大阪市出身。父は大看板だった二代目桂春団治。浪華商業(現・大体大浪商高)卒業後、サラリーマンになったが47年に父に弟子入り。小春として初舞台を踏み、50年に福団治を襲名した。その3年後には父が亡くなり、59年に上方落語きっての大名跡を継いだ。故・六代目笑福亭松鶴、故・五代目桂文枝、故・桂米朝とともに上方落語界を支え続け、四天王と称された。77年から84年までは上方落語協会の会長を務めた。

 おなじみの出囃子(でばやし)「野崎」で登場し、マクラを振らずに噺(はなし)に入る独特の高座ぶりで知られた。「代書屋」「祝(いわい)のし」「野崎詣(まい)り」「高尾」「皿屋敷」「いかけ屋」「お玉牛」などの滑稽噺が十八番(おはこ)。持ちネタそれぞれに高い完成度を築きあげ、絶妙な間を生かして爆笑を巻き起こした。繊細なしぐさで、真後ろにストンと落とす羽織の華麗な脱ぎ方でもファンを魅了した。

 06年に開場した上方落語の定席「天満天神繁昌(はんじょう)亭」(大阪市)にも出演を重ねるなど四天王の中で最後まで落語を続けていた。13年にケガなどをきっかけに落語の高座から遠ざかり、昨年12月に入院していた。98年に紫綬褒章、04年に旭日小綬章を受章した。

 一門によると、三代目桂春団治さんは昨年12月から大阪市内の病院に入院しており、年末にはしゃべることも困難な状態となっていたという。上方落語協会副会長で弟子の桂春之輔さん(67)は「上方落語の四天王の中で最後まで落語をやっていたのはうちの師匠です。大往生やったと思います」と気丈に話した。筆頭弟子である桂福団治さん(75)は亡くなる2日前に会ったのが最後となったという。

 福団治さんは「病院の帰り際に『ありがとう』と小さな声で言葉をかけてもらったのが最後となりました。私にとっては芸の師匠であり、人生の師匠でもありました。怒られて怖い人がいなくなってしまった。残念です。古いしきたりを大切にした師匠の遺志を、これからも守っていきたい」と語った。