《評伝》上方落語界の「三代目」は美学を貫いて逝った。初代は大阪の笑いを代表する戦前の爆笑王、そして父の二代目も大看板。9日に85歳で亡くなった桂春団治さんは、上方落語の代名詞と言える大名跡を若くして襲名。重圧と向き合いながら、己に厳しい完璧主義で半世紀以上歩んできた。

 戦後、上方落語の復興を牽引(けんいん)した四天王のひとり。豪快な六代目笑福亭松鶴、はんなりした五代目桂文枝、知性の桂米朝に対し、華麗と称された。かつては高座で踊って見せ、舞踊の名手ぶりが芸の背景にあった。しゃべりのみならず、一つひとつのしぐさの完成度が高い、絵になる高座。そこに徹底的にこだわったためか、決して持ちネタは多くなかった。だが、十八番の一つだった「代書屋」の憎めない「アホ」や「スカタン」が出てくる大阪らしい落語を守り、唯一無二の世界を描き出した。

 「芸人やから酒と女はやめられへん」。常々そう語り、年齢を重ねても芸人としての色気を失わず、一門を超えて後進に慕われた。2006年9月の上方落語の定席「天満天神繁昌亭」のこけら落としの際には、六代桂文枝(当時は桂三枝)の引く赤い人力車に乗って天神橋筋商店街に登場。80代となっても高座に上がり、四天王で唯一、繁昌亭の高座で落語でわかせていた。83歳だった13年4月には大阪府池田市の「春団治まつり」で「野崎詣り」を披露。おなじみの出囃子(でばやし)「野崎」で悠然と現れると、大阪の泥臭さを濃厚に残す口ゲンカの噺(はなし)で爆笑を誘った。洗練された三代目流は、高座では決して衰えを見せなかった。

 同年のケガの影響で正座ができ…

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