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 毎年1月17日、追悼法要を開いてきた「阪神・淡路大震災被災者ネットワーク」。代表の安田秋成さん(90)は、仮設住宅や復興住宅で暮らし、その後亡くなった被災者らの名を記した「過去帳」を祭壇に供えてきた。それも今年で最後になる。新たに亡くなった被災者をたどることが難しくなったためだ。

 神戸市中央区の仮設住宅で自治会長を務めていた安田さんは、仮設住宅から各地の復興住宅に移った高齢者の独居世帯を自転車で回り、話し相手になってきた。応答がなかったり年賀状が届かなくなったりした人は、民生委員や親類らに連絡して確認。亡くなった人の名前を過去帳に追加し、毎年法要に供えた。

 「その人が生きていた証しを残し、悼む人が少しでもいるようにしたかった」。今年も1人が加わり、過去帳は約140人に。

 だが、最近は自転車のペダルが重く感じ、3年前に妻も亡くして「力がわいてこなくなった」。17日、神戸市中央区の公共施設で開かれた法要で、祭壇に最後の過去帳を供えると、目を閉じて読経に聴き入った。「これが限界。でも、動ける限り追悼の法要は続けていく」と話す。(赤井陽介

■慰霊祭は去年で一区切り 「節目に再び開きたい」

 「1年間、家族は元気でしたよ」。神戸市灘区琵琶町の慰霊碑前で、市川千鶴さん(68)が手を合わせた。町内の犠牲者61人が刻まれた碑に、義母たけさん(当時81)の名前もある。

 琵琶町では2002年に慰霊碑が建立され、慰霊祭が開かれてきた。自治会役員の市川さんは7年前から参列者に白菊を渡す係を続けてきたが、自治会は震災20年を機に「一区切りつける」と今年の開催を見送った。

 あの日。激しい揺れで自宅の梁(はり)が落ち、タンスが倒れた。とっさに小6の長女に覆いかぶさったが、がれきに埋もれて身動きがとれない。近所の人たちに助け出されたのは昼ごろ。1階で寝ていたたけさんが見つかったのは4日後だった。「近所では友人も多く、有名なおばあちゃんやった」

 今年は献花台がなく花の数が少ないからと、黄とピンクの菊、白いユリなど鮮やかな花を供えた。慰霊祭は「震災を忘れず、いざという時にみんなで助け合えるように、今後は25年や30年の節目で開くのが良いかもしれない」と話す。(島脇健史)