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 1995年1月17日、命を、暮らしを奪った阪神・淡路大震災。21年が経ったこの日、各地で追悼行事が開かれた。歳月が流れても、亡き人への悲しみやいとおしさは尽きない。記憶や教訓は、次世代へ、ほかの被災地へと受け継がれていく。

 「黙禱(もくとう)」。震災が起きた午前5時46分、神戸市中央区の東遊園地に「1・17のつどい」実行委員長の藤本真一さん(31)の声が響いた。今回から委員長に就き、竹灯籠(どうろう)の文字の公募を提案。「未来」が加わった。藤本さんは「震災をなぜ伝えないといけないのか、考えてもらうきっかけにしていきたい」と話した。

 「こんなにたくさん亡くなったん?」。死者と同じ数の竹灯籠を見てそうつぶやく小4の凜子(りんご)さん(10)と、小1の杏(あんず)さん(7)の2人の娘を連れた神戸市灘区の会社員、俵田真紀さん(40)は初めてこの日に東遊園地を訪れた。

 21年前は神戸大生。街にはガス臭が漂い、頭から出血した人が立ちすくんでいた。卒業後に神戸を離れたが、9年前に仕事の関係で戻ってきた。街の傷痕は消え、仕事や育児で震災関連行事に参加する機会もなかった。

 しかし20年を過ぎて行事が減少していると知り「今、この子たちを連れて行かないと」と思い立った。「会場で見たこと、感じたことを大切にしてほしい」

 兵庫県西宮市の震災記念碑公園。土河朱美さん(78)は手を合わせ、心の中でつぶやいた。

 「ごめんね」

 震災で自宅が全壊。山口県から来ていた1歳半の初孫が、たんすの下敷きになって亡くなった。「私の家に来てなかったら」。そんな思いが21年経っても残る。昨年までは東遊園地に行っていたが、今年は自宅に近い同公園に。「足腰が痛む。でも行かないわけにはいかない。孫に謝る日だから」

 同公園の碑に、横山友香さん(35)=兵庫県芦屋市=は初めて手を合わせた。西宮市で亡くなった祖父の姉、荒川匡子さん(当時75)を悼むためだ。

 横山さん自身は荒川さんに会ったことはない。だが、碑を訪れてきた祖父が昨年亡くなった。「もう誰も来てくれなくなってしまうんじゃないか」という思いが、足を運ばせた。

 来年は2人の子どもを連れて来ようと思う。「大切な人を奪う震災の怖さを、子どもたちに伝えたい」