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「おしっこが出ーへん」

 風邪もほとんどひかず、兄や弟と走り回る元気な女の子だった。

 兵庫県洲本市で暮らしていた白水葵(しらみずあおい)ちゃん(当時4)に異変が現れたのは、2011年の暮れだった。トイレに行ってもときどきおしっこが出ない。走ると転ぶようになった。母親の照枝(てるえ)さん(40)は「冬だからトイレが近いのかな」と思った。転んだ時も「ちゃんと、足上げて走りよー」と声をかける程度だった。

 翌12年2月4日。葵ちゃんが「おしっこが出ーへん」と言って泣いた。近くの泌尿器科を受診したが、膀胱(ぼうこう)に異常はなかった。医師に言われて、片足で立つとふらついた。「すぐに、小児科に行ってください」。かかりつけの小児科医も異常を認め、紹介状を書いた。父・英行(ひでゆき)さん(43)が運転する車で、60キロほど離れた兵庫県立こども病院(神戸市)に急行した。

 CT検査など一通りの検査の後、両親は診察室に呼ばれた。医師に「脳幹神経膠腫(のうかんしんけいこうしゅ)の可能性が高いです」と伝えられた。命に関わる脳腫瘍(しゅよう)だ。2年以内に亡くなる病気と説明された。英行さんは頭が真っ白になった。照枝さんは「なんかの冗談ではないか」。涙が止まらなかった。トイレに入って目の周りを冷やした。その後、別の場所で待っていた葵ちゃんを抱っこした。顔を見られないようにしながら。

 6日後、MRI検査の結果が出て、主治医の河村淳史(かわむらあつふみ)・脳神経外科部長から詳細な診断名を告げられた。「びまん性橋(きょう)神経膠腫」。脳幹の「橋」という部分に腫瘍ができ、運動神経や排尿に障害を起こす。1年生存率は50%未満。放射線治療ができるが、完治は望めないという。両親は「治療の可能性があることは何でもお願いします」と伝えた。

 この日は、夫婦の11回目の結婚記念日だった。前年の記念日は家族で淡路島内のホテルで過ごして祝った。「娘さんの人生のためにできることをしてあげてください」という主治医の言葉が英行さんの胸に刺さった。

 放射線治療が始まる前、葵ちゃんは寝付けないでいた。照枝さんは自分の動揺が葵ちゃんに伝わっていると感じた。だから決めた。「これからは笑っていよう」

 

「ここは良い場所かも」

 2012年に脳腫瘍(しゅよう)と診断された兵庫県洲本市の白水葵(しらみずあおい)ちゃん(当時4)は、兵庫県立こども病院(神戸市)で放射線治療を受けることになった。両親は、完治は望めないと説明を受けたが、できる限り治療を続けようと決めた。

 2月中旬から週5回、5週間にわたって放射線治療を受けた。退院後は腫瘍が大きくなるのを抑える抗がん剤などを飲み、月1回、血液検査などで経過を見た。薬の副作用で疲れやすかったり、吐き気があったりしたが、うまく歩けない症状はおさまっていた。

 4月には市内の幼稚園に入園。遠足や運動会にも参加した。8月には地元、淡路島のお祭りで踊った。体力が持つか家族は心配したが、笑顔で楽しんでいた。

 両親は、本人が「いや」と言ったら抗がん剤をやめることも考えていたが、いやがることなく飲み続けた。「このままよくなるんじゃないか」。母親の照枝(てるえ)さんは、そんなことも思った。

 だが、13年1月3日、家族で出かけた初詣先で、葵ちゃんの足元がふらついた。抑えていた症状が再び出た。すぐにこども病院へ。主治医の河村淳史(かわむらあつふみ)さんから、残された時間は多くないことを伝えられた。照枝さんは現実を突きつけられた思いがした。

 歩くことが難しくなった葵ちゃんとどう過ごすかで照枝さんは悩んだ。その頃、こども病院のスタッフから、開設したばかりの淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院(大阪市)を紹介された。スタッフが24時間いて、兄や弟も泊まって過ごせる。しかし、父の英行(ひでゆき)さんはすぐには受け入れられなかった。ホスピスには「ただ死を待つ」という負の印象があった。

 「見学にきてください」という病院の提案を受け、2月上旬に4日間の体験利用をした。滞在する33平方メートルの病室は、お風呂、トイレ、台所などがあり、家族全員が泊まれる。日中は大阪近郊の水族館や動物園を巡った。夜は、病院側が用意した食材で家族5人そろってたこ焼きパーティーなどをした。兄や弟も病院内ではしゃいだり、絵を描いたりして楽しめる。

 「ここは本人や家族にとっても、良い場所なのかもしれない」。両親はそう感じた。

 

家族5人、泊まった病室

 脳腫瘍(しゅよう)の抑えていた症状が再び出た兵庫県洲本市の白水葵ちゃん(当時5)は、2013年2月、淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院(大阪市)を体験利用した。鍋谷(なべたに)まこと院長(53)は両親に「家族でできることを一緒に考えていきましょう」と話した。

 「こどもホスピス」は建物2階の1フロアにあり、絵本が読める場所や共有の台所、自由に絵を描けるホワイトボードの壁などがある。兄や弟も一緒に泊まって遊ぶことができ、家族が心置きなく過ごせる場所だと両親は感じた。

 葵ちゃんには「ホテルみたいなところ」と説明した。兄の豪(つよし)君(11)には葵ちゃんの薬が効かなくなったらお別れになることを話した。兄は泣いて「葵ちゃんを守る。優しくする」と言った。

 3月末から長期滞在を始めることを決めた。鍋谷さんとは、兵庫県立こども病院に月1回程度通院して、抗がん剤を飲み続けることを確認した。ただ、延命のみを目的とした人工呼吸器の装着は希望しなかった。

 母の照枝さんと弟の颯(はやと)君(6)は、ホスピス病院で葵ちゃんと一緒に過ごすようになった。週末になると、父の英行さんと豪君が車で来る。家族で買い物などを楽しんで、夜は5人で病室に泊まった。

 ホスピス病院に長期滞在するようになり、葵ちゃんは「出かけたい」「可愛くしたい」と、以前のように希望するようになった。

 照枝さんはホスピス病院内の台所で、葵ちゃんが好きなチョコレートムースやフルーツゼリーなどを作った。近くの商店街などに一緒に買い物に出かけ、好きな果物を買ったり、おもちゃのアクセサリーを見たりした。照枝さんが用事をしているときなどには、ボランティアのスタッフと絵本や折り紙、お絵かきなどを楽しんだ。

 葵ちゃんは次第に、食べ物を飲み込む力が弱くなっていった。鼻からチューブで栄養をとる方法もあったが、照枝さんは、食べることが好きな葵ちゃんの楽しみをなくしたくなかった。

 ホスピス病院の管理栄養士らはエビフライや牛丼などを飲み込みやすいペースト状にしてくれた。葵ちゃんはそれを口から食べ、「うまい」と言った。

 

4カ月、水族館も行けた

 2013年の初めに脳腫瘍(しゅよう)の症状が再び出た兵庫県洲本市の白水葵(しらみずあおい)ちゃんは、淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院(大阪市)に、長期滞在することになった。6歳になり、長期滞在を決めて3カ月が過ぎた。

 7月、ホスピス病院の屋上に、家庭用のプールが用意された。葵ちゃんは、浮輪を使って入った。気持ちよさそうにしていたが、大人の膝に届かないくらいの水深で、「おしりが浮いたらもっと気持ちよかった」と言った。

 この頃から、ぼうっと放心したような状態が多くなった。母親の照枝さんは担当の看護師に「覚悟はしているが、あきらめてはいない」と伝えた。医師から、抗がん剤はもう飲まなくていいと言われていたが、本人が「飲む」と言ったので続けた。

 7月20日ごろから眠ったような状態になった。呼びかけると血圧が上がることもあった。もう一度、家族で葵ちゃんが好きな大阪の水族館に行けないか――鍋谷まこと院長からは、外出中に呼吸が止まる可能性もあると説明された。それでも五感で何かを感じてほしい。兄と弟も「葵ちゃんと行きたい」。

 22日、父親の英行さんが運転する車で水族館に行った。酸素吸入をしながら、看護師2人が付き添った。約1時間の滞在。兄の豪(つよし)君は、きょうだい3人分のお土産を買った。

 その日の夜、家族はホスピス病院の病室で過ごした。葵ちゃんは仰向けになると呼吸が苦しそうだった。兄は妹が楽な姿勢を保てるよう、同じベッドで、自分の体で妹の体を支えながら寝た。

 翌23日の昼過ぎ、血圧が下がった。英行さんが体を抱いた。温かかった。「葵」と何度も呼びかけた。午後1時52分、息をひきとった。「お疲れさま、ありがとう」「よう頑張ったな」

 新しい花柄のワンピースを着せてあげた。葵ちゃんはスタッフに見送られてホスピス病院の正面玄関を後にした。

 ホスピス病院で過ごした約4カ月。「人のつながり、温かみを感じた。葵は葵らしく楽しく生きられたと思う」と照枝さん。きょうだい3人。豪君(11)や弟の颯(はやと)君(6)は、今でも葵ちゃんの分のおやつを買う。

 

【情報編】高まるニーズ、開設徐々に

 世界初の子どもを対象にしたホスピスとされるのは、1982年にできた、英オックスフォードの「ヘレンハウス」だ。家のようにくつろげる部屋や庭があり、看護師主導のケアを提供する。慈善事業として運営されているのが特徴。その後欧州などで広がった。

 国内では連載で紹介した淀川キリスト教病院(大阪市)が2012年、子ども向けホスピスを併設した「ホスピス・こどもホスピス病院」を開設した。終末期に限らず、小児がんや難病の子が、家族との時間を最大限大切にした環境のもとでケアを受けられる施設を目指している。

 ただ、子どものホスピスに明確な定義はないとされる。終末期ケアに限らず、重い病気をもった子どもが一時的に身体や心のケアを受けられる場所を指すこともある。

 文部科学省の調査によると、14年5月時点で、全国の公立特別支援学校には、日常的に医療的ケアが必要な子どもが約8千人いる。厚生労働省の調査では、9歳以下の子どもの訪問看護の利用が増加傾向にある。重い病気の子どもや家族を支援する施設の必要性を示唆するデータだ。

 大阪市では今春、「TSURUMIこどもホスピス」が誕生する。寄付を財源に緩和ケアプログラムを提供する「こどものホスピス・プロジェクト」の一環。台所や宿泊部屋がある建物が公園内にある。地域住民とのふれあいを通じて、子どもの成長を後押しする。設立に関わる大阪市立総合医療センターの多田羅竜平(たたらりょうへい)・緩和医療科部長(45)は「病気の子どもと家族を社会で支えるもので、現在の医療や福祉の制度だけでは解決しがたいニーズに応える施設になる」と話す。

 国立成育医療研究センター(東京都)にも、寄付をもとに作られた重い病気を持つ子どもと家族を支える施設「もみじの家」ができる。今春から受け入れを始める予定で、患者や家族の短期利用を想定している。将来的には終末期の患者の受け入れも検討している。同センターの賀藤均(かとうひとし)病院長(58)は「同様の施設を全国に広げるため、運営を持続するための制度のあり方などを国に提案できれば」と言う。

写真・図版

 

<アピタル:患者を生きる・がん>

http://www.asahi.com/apital/special/ikiru/

(今直也)