「戦後70年」から「戦後71年」へ。これからも目をそらさずに伝えていこうとする思いと営みが、映画を通して広がっている。

 日中戦争のさなかの1937年12月、中国・南京の城門「太平門」で多くの中国人捕虜を「処理」した――。旧日本軍の師団長の日記をめぐり、元小学校教師の松岡環(たまき)さん(68)=大阪市阿倍野区=が証言者を訪ね歩いた様子をドキュメンタリー映画にした。「被害者の痛みを知ることが日中友好や平和につながる」との思いからだ。

 「太平門 消えた1300人」(75分)は松岡さんが活動を語る場面から始まる。88年に南京に行ったこと、南京攻略戦に参加した元日本兵への聞き取りを97年に始めたこと……。20人以上がカメラの前で証言。中国人女性は「3回強姦(ごうかん)され、銃剣で刺された」と日本政府に謝罪を求める一方で、元日本兵は虐殺を「見たことない」と否定する。

 聞き取り調査の過程で、松岡さんは中島今朝吾(けさご)・第16師団長が書いた通称「中島日記」に行き当たった。旧日本陸軍将校らがまとめた「南京戦史」(89年、偕行社)に「軍の内情、人心の動きなどを知る貴重な資料」としておさめられていた。「南京事件」(97年、岩波書店)を著した笠原十九司・都留文科大名誉教授が「権威ある師団長の日記で、信頼できる」と評する史料だ。

 「太平門ニ於(お)ケル守備ノ一中隊長ガ処理セシモノ約1300」。松岡さんは5年前からこの記述にこだわって証言者を探し、映画では元日本兵3人が「城壁の角に(捕虜を)集めて鉄条網を張り、上から石油をぶっかけた」「上から(火のついた)綿を放った」「焼いて埋めた」などと語る。

 年に5~6回、高層マンションが立ち並ぶ南京の現場近辺を歩き、40人以上と面会。数人が太平門近くに元中国兵の王(ワン)という男性が住んでいたのを知っているとし、映画では2人が王から「門の外に並べられ、機関銃を向けられた」「手榴弾(しゅりゅうだん)を投げられた」「顔に血を塗って死体の中からはい出た。湖で顔を洗った」と聞いたと証言する。

 映画は松岡さんらが昨秋に大阪市で開いた映画祭で公開され、今後は各地で上映を働きかけるという。松岡さんは「私たちは何があったのかを知らなければいけない。被害を受けた側は忘れない」と話す。問い合わせは銘心会南京(090・9986・0972)へ。(笠井哲也)

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 〈南京事件〉 1937年12月13日に旧日本軍が中華民国国民政府の首都だった南京を占領し、捕虜や市民を殺害するなどした事件。日本の研究者には犠牲者を4万~20万人とする見方が多く、中国側は30万人と主張している。ユネスコ(国連教育科学文化機関)は昨年10月、中国の申請した「南京大虐殺の記録」を世界記憶遺産に登録。日本政府は「申請資料が一方的な主張にもとづいている」「政治利用されかねない」などと反発した。

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■2045年に「第三次大戦」のSF

 71年前に終わった太平洋戦争を「未来」から見つめてみようという思いで作られたSFドキュメンタリー映画もある。「インペリアル 戦争のつくり方」。戦後100年にあたる2045年、日本が3度目の世界大戦に突入していく、というストーリーだ。

 憲法改正で軍隊になった自衛隊、徴兵制の復活、愛国教育の徹底……。こうした国になった日本が米国の要請を受けて朝鮮半島に軍事介入した結果、原発が破壊されて日本全土がほぼ壊滅されるという内容だ。日本の「戦後100年」の歩みが記録された写真と映像をもとに、生き残った女性が「日本はどこで道を誤ったのか」と振り返る。

 監督は批評家・映像作家の金子遊(ゆう)さん(41)。若者に映像づくりを教える中、仲間内で政治や安保政策のことが「タブー視」されると誰も発言しなくなる傾向に気づいた。「自分と異なる世代や歴史と交わり、色々な考えがあることを知ってほしい」。そう考えたという金子さん。「『こんな2045年は嫌だよね』と想像力を膨らませるきっかけになれば」と願う。

 映画は12~16日、大阪市のシアターセブン(06・4862・7733)で上映される。上映の申し込みは幻視社(090・4434・8774)へ。(花房吾早子)