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 東日本大震災から11日で5年。あの日、岩手、宮城、福島の3県で、100人を超える新しい命が生まれた。子どもたちの成長は家族の、被災地の、それぞれの未来に向けた歩みでもある。

■母の分まで「母親」全うしたい

 食べられなかったブロッコリーが、食べられるようになった。一昨年は悔し涙を流した運動会で、去年は1等賞をとった。

 岩手県宮古市の下沢悦子さん(37)は、長女のさくらちゃんの成長に日々気づかされる。2011年3月11日。地震の30分前に生まれたさくらちゃんの誕生日を心から祝える気持ちになったのは、最近のことだ。悦子さんにとってこの日は、母たえ子さんの命日でもあるから。

 悦子さんは母親を知らずに育った。生まれてすぐに両親が離婚。「悦子」の名をつけてくれた父方の祖母を幼い頃亡くし、父も小学3年の時に病死した。ずっと親類の家で育てられた。

 学校の授業参観日。化粧した母親が来てくれる同級生がうらやましかった。母を恨む気持ちもあった。

 母と初めて会ったのは、震災の3カ月前。宮古駅前のバス停に座っていると、突然女性が声を掛けてきた。「えっちゃんだよね。お母さんのたえ子です」。えくぼが印象的な、優しそうな人だった。

 春に子どもが生まれたら、たえ子さんが再婚相手と暮らす宮古市の海の近くの街に見せにいくと約束した。だが、母は震災の津波にのまれ、亡くなった。58歳だった。

 その年の秋、再婚先を訪ね、思ってもみなかった母の話を聞いた。

 悦子さんが小学校の頃、運動会をこっそり見ていたこと。結婚を人づてに聞き、近くまで様子を見に行っていたこと……。

 なぜ母は成長した自分が分かったのか、理由が分かり涙が出た。自分も母親になり、子どもの成長を間近で見られなかった母のつらさが身にしみた。

 震災の翌年、次女の歩未(あゆみ)ちゃん(3)が生まれ、昨秋には長男の源治くんが誕生した。今は育児休業中だが、介護施設での仕事にやりがいを感じている。子育ての相談に乗ってくれる高齢者たちは母であり父のような存在だ。昨冬夫と離婚。子ども3人を育てるため介護福祉士の資格をとろうと勉強を続けている。

 悦子さんは、心に決めていることがある。子どもたちが大人になるまで、絶対に死なないこと。そばで成長を見届けてあげること。

 自分が母親に甘えられなかった分、子どもには思い切り甘えてほしい。そして、子どもと一緒にいられなかった母の分まで「母親」を全うしたい。

 3月11日。誕生日を祝っていいかずっと悩んできた。でも母は、さくらちゃんの成長と、それを喜ぶ自分の姿を空から笑顔で見守ってくれている。「それが母親というものかな」。そう思えるようになった。

■大人になる頃には夢を抱ける福島に

 福島県南相馬市の星山晃一さん(38)は今、住宅地や道路の除染作業に出かける毎日を送る。

 震災が起きるまで、東京電力の…

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