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 大震災と原発事故から5年。福島で被災した一家と、広島の高校生らの交流が続いている。その距離750キロ、年齢も50歳近く離れた被災者と若者たち。いまも電話や手紙をやりとりし、「つながり続ける大切さ」を実感している。

 「自然に触れる暮らしを取り戻したい。やりたいことがいっぱいあるんです」。2月末、福島県川俣町山木屋(やまきや)地区の自宅で、避難指示解除に向けて準備宿泊中の大内秀一(ひでかつ)さん(67)が携帯電話で話していた。その相手は、広島県福山市の私立盈進(えいしん)中高ヒューマンライツ部の高校1年、高橋和(あい)さん(16)ら3人。交代しながら会話がはずむ。

 ずいぶん暖かくなり地区の梅が五分咲きになったこと、田んぼに作ったスケートリンクがすっかり溶けたこと。大内さんは笑顔を浮かべ、電話口から高校生の笑い声が漏れる。でも、原発事故の話になると、大内さんの顔が曇った。「みんなバラバラになって、つながりも崩壊しちまいました。残念だけんど……」

■70年前に被爆

 2011年3月。東京電力福島第一原発の事故が起きたとき、大内さんの父・佐市(さいち)さんは原発から40キロ弱の飯舘村にある特別養護老人ホームに入っていた。山木屋地区も隣の飯舘村も避難指示区域に指定された。大内さんらは区域外の川俣町北部へ移ったが、特養の入居者は環境の変化に伴う負担が大きいと避難の対象外になり、佐市さんと家族は離ればなれになった。

 広島に原爆が投下された70年前。衛生兵だった佐市さんは数日後、広島市中心部に入って被爆した。戦後、郷里の川俣町へ戻って農業を営み、妻(89)とともに4人の子を育てた。被爆体験を進んで語ろうとはしなかったが、体調を崩した幼い大内さんに「(自分が)原爆を浴びたからだ」とつぶやいたこともある。

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