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 東日本大震災では、首都圏の各地が液状化に見舞われた。千葉、茨城両県では計2万5千戸が被災。傾いた住宅を再建したうえでなお、地盤対策の負担が続く地域もある。あきらめて土地を離れる人、未知の対策に不安を持つ人。住民一人ひとりが重い決断を迫られている。

 都心からJR成田・常磐線で1時間。千葉県我孫子市の布佐(ふさ)駅から徒歩10分圏の都(みやこ)地区に、約2千平方メートルの空き地が広がっている。大震災による液状化で壊れた13軒の住宅が解体され、更地のままになっている。

 40年余り警視庁に勤めた井上正則さん(73)の土地135平方メートルもある。1984年に建てた住宅が被災し、玄関付近は60~70センチも沈下した。震災から1カ月後、車で15分ほど離れた地区外に中古の住宅を探し、夫婦で引っ越した。元の家は市の事業で取り壊されたが、土地の買い手はつかない。跡地を毎週訪れ、野菜を作る。「ただ草を生やしておくよりはいいから」

 この地区を含む布佐東部地区は、利根川の堤防が決壊してできた沼を戦後、川砂で埋め立てた。震災で約12・5ヘクタールが液状化し、住宅110戸が全壊した。

 市は将来に備え、ポンプで宅地の下から一帯の地下水をくみ上げる「地下水位低下工法」による地盤対策を計画した。だが、1戸あたり年5千~1万円のポンプ維持費を永久的に負担することになる。同意は2割に満たず、市は断念した。井上さんも「子や孫にまで負担をさせられなかった」。

 震災前の都地区に549人いた住民のうち120人が去った。井上さんは空き地を前に「相場より安くてもいいから売れればいいが……」と切なげだ。周辺の路線価は、震災前の1平方メートル約4万円の半値近くだ。

 残った人も複雑だ。4代続く米店を営む根本貢一さん(66)は液状化で店舗兼住宅が全壊。近所の人らに励まされ、3年前の春に再建してプレハブで店を構えた。だが、周囲に10軒近くあった商店はほとんど消えた。スーパー、中華店、床屋、井戸端会議の場だった酒店もない。お年寄りの姿もめっきり減った。根本さんの妻(64)はいう。「どこからが『復興』といえるのかしらね」

 市内の8割超が液状化した同県浦安市では、セメント系固化剤を注入して土を固めた円柱状の構造体を宅地の周囲の地中に埋める「格子状地中壁工法」を市が採用。私有地のため、国が費用の半額、市が最大100万円を補助しても1戸あたり200万円弱の個人負担が生じる。一部の地区では個人負担額が420万円まで跳ね上がり、断念したケースも出ている。(佐藤清孝)