東京・代々木に鎮座する明治神宮。初詣の参拝者数が日本一の神社で、面積は70万平方メートルと、東京ドーム15個分もの広さを誇ります。うっそうとした緑の中に、明治天皇のゆかりの品々を集めた「宝物殿」があるのをご存じですか。最近は外国人観光客からも注目を集めているそうです。学芸員の内田努さんに施設を案内してもらいました。

 宝物殿は明治神宮が創建された翌年の1921(大正10)年11月に開館しました。場所は神宮の敷地の北側。奈良・正倉院の校倉(あぜくら)造りを模した「校倉風大床造り」(あぜくらふうおおゆかづくり)で、2011年6月に国の重要文化財に指定されました。関東大震災や戦争でも大きな被害がなかったそうです。

 正面から中に入ると、明治天皇と、皇后の昭憲皇太后の肖像画が目に入ります。ともにイタリアの版画家、エドアルド・キヨッソーネ(1833~98)によって描かれました。

 キヨッソーネは明治政府の招待で1875(明治8)年に来日し、その後、終生を日本で過ごしました。よく知られている西郷隆盛の肖像もキヨッソーネの作品です。

 なぜ明治天皇の肖像画を日本人ではなく、キヨッソーネが手がけることになったのでしょうか。内田さんによると、肖像画は1888(明治21)年、明治天皇が37歳の時に描かれましたが、そのころの外交は、君主の写真を交換しあうのが慣習となっていました。しかし、明治天皇は写真嫌いで有名で、正式な写真は72(明治5)年に撮られた正服の束帯(そくたい)姿と平常服の直衣(のうし)姿、翌73(明治6)年の洋装の軍服姿ぐらいしかありません。写真嫌いだった理由は諸説ありますが、真相は謎のままといいます。

 それから15年の歳月が経ち、実際と写真との差が大きくなるとともに、外国からは明治天皇の写真の要望が増えていきました。

 そこで、宮内大臣だった土方久元(ひじかた・ひさもと)は「写真ではなく写生ではどうか」と考え、当時印刷局で働いていたキヨッソーネに依頼したわけです。彼は明治天皇の外出時に様々な角度から鉛筆でスケッチし、肖像画を完成させました。この肖像画は広く複写が出回りましたが、宝物殿で展示されているものはオリジナルで、初代首相の伊藤博文宅に保管されていたそうです。

 その近くには、明治天皇が使っていた「御机」が展示されています。赤坂離宮を仮皇居にしていた際、表御座所(おもてござしょ)にあったものです。机上には実際に使われた鉛筆も置かれていましたが、長く使った証しとして手に持つのも難しいほどの短さでした。質素倹約を心掛けたという一端がうかがえます。

 何より存在感があったのが、出口付近にあった「六頭曳儀装車(ろくとうびき・ぎそうしゃ)」です。屋根に鳳凰(ほうおう)像が飾られ、荘厳な雰囲気が感じられます。外国人によって製作されたため、桐(きり)の模様が葡萄(ぶどう)の形に似ているなどの特色があると教えてもらいました。いつ使われたかには諸説ありますが、1889(明治22)年2月11日、大日本帝国憲法の発布日に、現在の明治神宮外苑である青山練兵場での観兵式に出席した際に登場したそうです。

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