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 東京電力福島第一原発事故から5年。福島への帰還を諦め、移住を選ぶ人もいる。鹿児島に避難してきた西口一男さん(88)は、避難後に体が弱った妻を励ましたくて家を建てた。完成を待たず、妻は息を引き取った。かつて妻のために建てた福島の家も朽ち果てた。13日の引っ越しを前に寂しさが募る。

 鹿児島県鹿屋市郊外の住宅街に真新しい平屋建てがある。スロープ付きの玄関。段差のない風呂の入り口。3LDKに太陽光が降り注ぐ。福島県富岡町から避難してきた西口さんが、1歳年下の妻八重子さんと2人で住むために新築した。そこから徒歩5分の借家で西口さんはつぶやく。「寂しいなあ。今でも八重子が帰ってくる気がする」

 西口さんは川崎市で暮らし、火力発電所や水力発電所の建設現場で配管や溶接をしていた。1967年に福島第一原発の1号機が着工。西口さんも福島に通い、1号機のポンプの据え付けなどをするようになった。「パイプを曲げ、機器を設置する。誰にでもできる仕事ではない」と誇りを抱いて働いた。その後も福島で次々に原発が着工。ひっきりなしに仕事が舞い込み、西口さんは71年ごろ、横浜市で原発建設の下請け会社を立ち上げた。

 帰宅は月1回程度。会社の経理を取り仕切りながら、八重子さんは夫の不在を寂しがった。80年ごろ、第一原発から10キロも離れていない富岡町の土地を2人で見に行った。水田や畑が広がる農村に一軒家を建てて移住した。

 原発の建設が一段落した80年代後半、西口さんは会社を閉じ、八重子さんの畑仕事を手伝い始めた。畑を耕す力仕事は西口さんが引き受け、耕運機も買った。そんな余生は原発事故で一変し、富岡町全域が国の避難指示区域となった。