[PR]

 ふるさとの福島県大熊町から引き離されて5年。町立大熊中学校の卒業式が11日、避難先の会津若松市であった。原発事故で住民はばらばらとなり、生徒数は10分の1近くまで減った。それでも卒業生たちは故郷を思い、手探りで未来と向き合っている。

 卒業式は、授業や部活で使わせてもらってきた短大の体育館で開かれた。

 「きょうは、あの日と同じ3月11日。すべてが変わり、日常生活は一変しました」。式典の終盤、26人の卒業生を代表して、答辞に立った生徒会長の遠藤瞭君(15)は「将来への不安、友達と離ればなれになった悲しみで心が折れそうになった時もありました。卒業の日を迎えられたのは、学校の仲間のおかげです」とこの5年を振り返った。

 あの日、町立小の4年生だった遠藤君は校内で激しい揺れに見舞われた。夜には原発事故に伴う避難指示などが発令され、両親や姉と、福島県のいわき市や東京都の親戚宅を転々とした。町の小中学校が再開されると聞いて、4月に会津若松市にやってきたが、同級生は半分になっていた。

 沿岸部の大熊町から、内陸の会津若松市まで約90キロ離れている。震災まで371人いた大熊中の生徒は43人に。町の人口は住民票でみるといまも約1万人いるが、町内は「無人」。町役場や学校が避難している会津地域に1500人ほどが暮らし、残りは県内のいわき市や郡山市のほか、県外の38都道府県に散らばっている。

 この日の卒業式には、かつての住所にもとづいて区長を務める坂上信行さん(68)も出席した。2年前から宇都宮市に暮らすが、卒業式に駆けつけた。「大熊では登下校の生徒とあいさつするのが楽しみだった。卒業おめでとうと、以前は簡単に声をかけられたのにね。自分の年齢では将来、町に戻るのは難しい。でも、若い人なら戻ろうと考える人もいるのでは」

 遠藤君は春から、大熊町と同じ沿岸部にある広野町の県立ふたば未来学園高へ進学する。原発事故の影響で、ばらばらになった地域の子どもたちのために昨春開校した。復興の担い手の育成を建学の精神のひとつに掲げる。

 進路を決める前の昨秋、遠藤君は震災後初めて大熊町の自宅に戻った。放射線量が高く、15歳未満の一時帰宅は禁止されているが、「自分の目で見たい」とずっと思ってきた。誕生日を迎えた2日後、防護服に身を包んで町に入った。

 「記憶があいまいになっていて、現実とかみ合わない」。避難から4年半が過ぎ、身長が30センチ以上伸びたからだろうか。家や庭、道が思っていたよりも狭く感じた。「頭の中のきれいな町と、目の前の現実が違う。この現状をどうにか変えたい」。そんな感情が芽生えたという。

 遠藤君は今月、広野町の隣のいわき市へ家族と引っ越す。卒業生26人のうち半数は会津地域に残る見通しだが、残りは県内のほかの地域の高校に進むことを希望しているという。

 町にとって、子どもらが集う学校は未来のシンボルでもある。この日、祝辞に立った渡辺利綱町長は卒業生に呼びかけた。「明るく一生懸命に取り組んできたみなさんの姿に、大人たちはどれほど励まされたか。みなさんはすでに、どのような困難にも立ち向かう力を身につけていると信じています」

有料会員に登録すると全ての記事が読み放題です。

お得なシンプルコース980円が登場しました。詳しい内容はこちら