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 多くの命を奪った東日本大震災の発生から、11日で5年を迎えた。津波は大切な人との思い出の場所も奪った。土地のかさ上げ工事が進み、新たにつくった祈りの場も変わろうとしている。残された家族は亡き人を思い、それぞれの場所で、静かに手を合わせた。

■「今も心は泣いてんだ」

 牧野駿さん(77)は11日午前6時40分、宮城県南三陸町歌津地区の自宅近くの慰霊碑で、手を合わせた。眼下に広がる海は穏やかだ。「5年前は寒かった。全然違うね」

 町職員だった長男の典孝さん(当時46)の名が、地区で犠牲になった118人と共に刻まれている。毎朝手を合わせてきた。

 産業振興の仕事をしていた典孝さんはあの日、仕事で山にいた。震災が起きると防災対策庁舎に駆けつけ、津波に襲われた。1年半後に遺体が見つかった。

 その後、防災対策庁舎は震災を伝える象徴となり、大型バスで多くの人たちが訪れるようになった。「息子が死んだ場所を、見たくない」。牧野さんはほとんど足を運んでいない。

 旧歌津町長だった牧野さんには、地区の人から「静かに手を合わせる場所がほしい」と声が届くようになった。震災の翌年、自身が所有するヒノキ林に「鎮魂の森」をつくり始めた。

 昨春、森に自費で慰霊碑を建てた。刻まれた息子の名を見てほっとした。反対側には「倶会一処(くえいっしょ)」の文字。みんな浄土で会えるという意味だと聞き、地獄を見たこのまちにぴったりだと思った。

 森から町を見下ろしても、津波にさらわれたままでまだ何もない。息子が生きていたら、復興に力を尽くしただろう。そんな姿がふとした時に思い浮かぶ。でも、典孝さんの妻や3人の子どもとの間で典孝さんのことを話題にできないでいる。

 「今も心は泣いてんだ。形見なんていらない。ただ、生きていればって」(中林加南子)

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