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 東日本大震災から5年を経て、それぞれの「今」を写真で投稿してもらうインスタグラム企画「#震災わたしはいま」に、福島県郡山市出身のクリエイティブディレクター、箭内(やない)道彦さん(51)が写真とメッセージを寄せてくれた。いまの思いを聞いた。

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 東日本大震災から5年を写真で表現するとしたら、僕は「人」にしたいと思いました。福島県は景色もきれいだし、おいしい食べ物もたくさんあるし、お酒もおいしい。でも、その中で生まれ育った人たちのパワーなしでは前に進まない。だから「人」がいいなと思いました。人も名産。「名産人」ということで。

 福島の人たちからパワーを感じる機会は増えていますね。もちろん、みんながみんな同じではないです。状況も違いますし、立場や思いも違いますけど、「面白いことをしよう」「みんなを引っ張っていきたい」という若者たちがとても増えてきた。その人たちが周りの人を巻き込んで、新しい動きや笑顔を増やしているというのを、すごく実感しますね。

 写真に写っている3人組は郡山市在住のロックバンド「ひとりぼっち秀吉BAND」です。僕が毎年やっている音楽野外イベント「風とロック芋煮会」の実行委員もやっています。風とロック芋煮会は、僕が見て欲しいと思うミュージシャンを連れて、「福島の一年で一番楽しい一日にしよう」って始めました。全国の人に「いいな」「うらやましいな」って思わせたくて。ライブだけではなく、ミュージシャン同士で野球の試合もするというのが一昨年から。会場が野球場なので。そこにブラバン隊、ポンポン隊っていうのができたんです。

 ブラバン隊は、チケットを買ったお客さんが楽器を持ってきて、自発的にやっています。打席に立つミュージシャンの持ち歌をアレンジして演奏するんです。チアリーダーのようなポンポン隊も、僕が頼んだわけではなく、福島の人が「自分たちに何かできることがないか」って2人の女性が始めました。希望する人に応援道具の材料を送って、当日の試合中はスタンドにたくさんいるんですよ。ブラスバンドも地元の高校とコラボレーションしてやってて。全国から集まった観客たちを巻き込んでましたね。

 ブラバンの中心も福島の女性ですけど、どちらも元々知り合いだったわけでもなく、普通に来てたお客さんなんですよね。やっぱり震災と原発事故があって、支援をしてもらってたじゃないですか。だから、してもらうだけじゃなくて自分もしてあげたい、受け身から能動になりたいっていう思いはすごくみんなの中に最初からあったんじゃないかな。ブラバン隊とポンポン隊を例にしましたけど、だんだんそれをできるようになってきたなって、すごいと思います。

 まだ能動的になれていない人もたくさんいるし、まだまだ閉鎖的な部分もある中で、人とつながって仲間が増えて、みたいなことをリアルタイムで経験している最中だと思いますね。僕も含めて。そういう意味も込めて、人に焦点を当てた写真にしました。

■情報発信で、言葉の難しさ

 去年から福島県のクリエイティブディレクターをやっていますが、行政と一緒にやるのって、「ロックじゃないな」って最初は思っていました。行政の反対側にあえていようと気をつけて活動はしていたんですけど、行政側の一人ひとりに会うとすごく苦労と努力をしていて。ただ、「ちゃんとやってよね」と褒められない立場にいて、県民と行政に距離があるのがすごくもったいないなって思ったわけです。そこで自分が間に立つことが出来ないかなっていう思いと、培ってきた広告の仕事を故郷の恩返しに生かせる機会になるのであればやろうと思って引き受けました。

 仕事は福島県の情報発信のプロデュースとディレクションをしています。テレビコマーシャルに「TOKIO」が出てくれて、「ふくしまプライド。」という農産物のキャンペーンをしたり、福島の日本酒を伝えるweb動画を作ったり。あとは、「みらいへの手紙~この道の途中から~」という10本の短編ドキュメンタリーアニメーションを作りました。たくさんの人が福島にいる中で、たった10通りの作品ですけど、福島の今に思いを寄せてもらえるような機会になればと思って作りました。

 「みらいへの手紙」は普段の仕事の10倍、100倍ぐらい丁寧にやらないといけないと思ってやりました。やっぱり色んな人が色んな考えで見てくれるから。否定をする人もいるだろうし、元気づけられたって言ってくれる人もいるだろうし。その両方に対して、ちゃんと機能するような作品にしたいなと思いました。

 例えば作品の中に、小名浜といういわき市の漁港が出てくるんですけど、小名浜は県内有数の「漁港でした」って表現があったんですよね。だけど僕はそれを県内有数の「漁港です」に直した。「でした」っていうことによって、3文字の言葉だけど、今が正しく伝わらなくなってしまう部分もあると思います。「漁港でした」なのか「漁港です」なのかの違いをすごい丁寧にディレクションしました。

 直近の大きな仕事は、12日の新聞に掲載された福島県の全面広告ですね。県内の福島民報、福島民友と全国紙に掲載する原稿を変えたんですよ。全然違うものではなくて、つながりがあるんですけど。難易度としては相当高かった。僕が感じるのは言葉の難しさですよね。例えば福島をカタカナで書くのか、ひらがなで書くのか、漢字で書くのか、アルファベットで書くのか、というだけで、伝えるものって変わってしまう。そういう中で情報発信における言葉の役割っていうのはものすごいセンシティブに検証していますね。

 ただ、行政っぽい表現ってあるじゃないですか。あれをやっているうちは、なかなか行政の本当の思いは伝わらないだろうなって思うんで、そこはとっても気をつけている部分です。行政って「元気発信」とか「未来発信」とか「大丈夫ですよ発信」とかせざるを得ないですから。それを僕は「きれいな包装紙」って呼んでいるんですけど、そのことによって説得力が逆にダウンしてしまう。そういうこともあると思うんですよね。きれいなことだけ言えば届くか、伝わるかというと、そうではない。

 だから答えを全部提示しないで、一緒に考える。一緒に考えていくというスタンスに情報発信が立てればって思います。「5年前のことを忘れないようにしよう」ってことだけじゃやはり足りなくて、「今どんな人がどんな風に暮らしているんだろう」って考えることがみんなにとって必要なことなんじゃないかなって思いますね。

■定期的に会う仕組み作り

 福島で色んな人と知り合って、友達になりました。これからもその友達たちが傷ついていたり、苦しんでいたりしたら、その理由となるものを排除したいとは思うし、その人たちが喜んでくれることがあるんだったらそれをまたやりたいって思います。ポンポン隊の野球もそうですけど、ただ続けているだけ。なので、「絶対やめないぞ」とか「とにかく続けるんだ」とかそういう気持ちが強くあるわけじゃなく、好きな人や知っている人に「今月も会いに来たよ」っていうことを普通に繰り返すだけだと思いますね。

 福島県内の59市町村を毎月巡るラジオ番組もやっていて、これはまだあと3年ぐらいかかる。継続して出演しているテレビ番組もあるんですけど、こういう自動的にまたみんなに会うっていう仕組みを自分の中に作っているのは大きいですね。変わっていくことが見えるし、また会いたい人が増えるし。「時間があったらやろう」とか「何としても時間を作ろう」とかだとなかなか難しくて、定期的に継続できる関係性というものが、僕だけじゃなくて用意されてくるとすごくいいなって思います。それこそ、福島の名産が月に1回送られてくるいう定期便でもいいと思いますね。

 僕にとって、広告は、足りないものを知恵で補おうというものなんですよね。それと福島との関わり方は似ていると思います。足りないものを見ちゃうと、それをアイデアで何とかできたらすてきだなって思うくせがあるんだと思います。県民全員から「来るな」って言われたら、それはちょっと考えなきゃいけないですけど。「また来てね」って言ってくれる人がいて、それ以外の人の迷惑になっていないのであれば、福島と関わり続けなきゃなとは思っています。

「#震災わたしはいま」への箭内さんのメッセージ

福島、と括(くく)られても、ひとりひとりそれぞれに、

立場と思いは様々です。

10人いれば、10通りの、

200万人いれば、200万通りの、今があります。

人がいます。

互いが互いの違いを尊重し合えることが、

ともに明日を作る一歩であることを、

改めて感じています。

まだ足りないことと、希望。

その両方がある中で。

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 やない・みちひこ クリエイティブディレクター。1964年、福島県郡山市生まれ。博報堂時代にタワーレコード「NO MUSIC, NO LIFE.」などの広告を手がける。2003年に独立し、「風とロック」を設立。10年9月に結成したバンド「猪苗代湖ズ」では、東日本大震災の復興支援のために「I love you & I need you ふくしま」をリリースし、その全収益を福島県災害対策本部に寄付した。13年からは、福島県59市町村を毎月巡る、ラジオ福島の公開生番組「風とロック CARAVAN福島」に出演している。