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 今月5日に84歳で亡くなった作曲家の冨田勲さんを悼む声が続いている。冨田さんを敬愛するミュージシャンの小室哲哉さんが取材に応じた。その一問一答を紹介する。

■出会いは大阪万博

 ――冨田さんの音楽にはじめて出会われたのは、小学校の時とのこと。1970年の大阪万博に学校を休んで出かけたそうですね。

 そう、今よりも「未来」を意識する時代でしたね。21世紀にはこうなるんだ、って。それを象徴するかのような音響のスケール感に衝撃を受けました。

 ――当時から、すでに音楽が好きだったんですか。

 まだ小学校6年だったので、単なるリスナーでした。ちゃんと冨田さんのアルバムを買ったのは、1年後くらいだと思います。

 ――何のアルバムですか?

 電子音の、まあ、どちらかというと現代音楽に近かった。それはまだ、ちょっと正直いって、当時の僕にはまだよくわかりませんでしたね。

 ――まだ冨田さんが、モーグ・シンセサイザーを手に入れていない時期ですね。

 そうでしょうね。まだほんとに、オルガンみたいな電子楽器。生の楽器も使っていなかったような。ただ、万博の会場で見た「イメージ」を手に入れたかったんです。でもやっぱり、あの空間あってのこの音楽だったんだな、と。万博の1年か2年前くらいに、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」が公開されて。どうしても見たくて親に連れてってもらったんです。クラシックの音楽が結構使われているんですけど、終わりの方に近付くと、電子音みたいなのが出てきて。

 ――リゲティですね。

 ああ、その通り。冨田さんの音楽にも、それに近いものを感じた。ああ、これともつながっているんだな、みたいな感覚があったと思います。

■「大事なのはメロディー」に影響

 ――現代音楽にも興味があったのですか。

 いや、冨田先生があるとき「音色は絵の具というか画材みたいなもので、生とか電子とか、実はこだわりはないんだよね」とおっしゃったことがあって。大事なのはメロディーとかアンサンブルなんだと。僕もそっちの方ですね。メロディーがきれいな方が好きだったんです。そこらへんは僕の世代で、先生に影響を受けている作曲家みんなに共通することなんですけど。「ジャングル大帝」について、漫画家の浦沢直樹と2人で2時間語り合ったことがあるんです、彼は絵のことを、僕は音楽のことを。平原を、大群の鳥が舞っていくシーンの音楽が、なぜか僕にはサラウンドにきこえたんですよね。モノラルかもしれないのに。あの壮大な感覚は圧倒的でした。「新日本紀行」はシンセサイザーとかまったく使っていないんですけれど、子どもの心にも非常に鮮烈に残るメロディーラインを書いてくださいましたよね。

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