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 沖縄戦を振り返る朝日新聞・谷津憲郎論説委員の連続ツイートまとめ、6月1~7日分です。71年前、現地や本土で何があったのか、様々な資料からたどります。慰霊の日(6月23日)まで全10回です。

     ◇

1945年6月1日@首里

 伊地朝義さんは、結核で壕(ごう)に寝たきりとなった息子と二人で暮らしていた。そこへ米兵が来た。何度誘っても息子は「父一人行ケト云フ」。後ろ髪をひかれながら、息子を残して捕虜になった。「共ニ死ヲ選ブコトモ出来ズ(略)弱イ此ノ父ヲ、ドンナニ怨ンデ死ンダダラウカ」。

6月2日@中城湾

 上京を命じられた神直道参謀は、水上機をあきらめ、クリ舟での海上突破に計画を変えた。この日、一行8人は浮原島にたどり着き、洞窟に身を潜めた。「息を殺し、身を動かさず、耳だけを極度に動かして佇座した」。米偵察機が本島南部を盛んに飛ぶのが見えた。

6月3日@具志頭

 山第一野戦病院の新城分院に閉鎖命令が出た。前夜、軍曹らは「無神経にただ黙々と」青酸カリとブドウ糖を混ぜた毒薬をつくっていたと、白梅学徒の崎間政子さんは書く。500人とも言われる患者が「処置」された。「外へ飛び出した私は声をあげて泣いてしまいました」

■6月4日…

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