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◇母は、前に入院した病院の系列の本院に転院した。

◇移動中も転院した後も、母は意味のわからないことを言い続けていた。

◇改めて検査が行われ、右大腿(だいたい)骨骨折の手術は数日後に決まった。

 右大腿骨の骨折で救急搬送された母は、病院で一晩を過ごした後、うわごとのように、意味のわからないことを言うようになった。看護師から「認知症ですか」と聞かれ、不安になった私たちは、つてをたどり、母が前に入院した病院の系列で、本院にあたる病院に転院することができた。

 介護タクシーでは、助手席に本院の副院長である林先生が座り、後部座席に私、弟の誠と妻の恵さんが乗り込んだ。「やはり認知症ですよね?」と私たちに念押しした看護師も付き添っている。この看護師はさっきまで私たちに「わかりません」を連発していたが、林先生に対してはとても愛想よく、私たちにも、別人のように丁寧に接するようになった。

 道中、母はずっとしゃべっていた。

 車の天井を見上げて、「お祭りの声が聞こえる」「ほら、にぎやかでしょう?」「おみこしがこっちに来るわ」「あら、誠が担いでいる」「ほら、誠、こっち向いて。父さんが写真を撮るわよ」。

 誠が子どもの頃、近くの神社のお祭りでおみこしを担いだ光景を思い出したのかもしれない。

 かと思えば、「ねぇ、ねぇ」と看護師に呼びかけ、「お星さまがきれいに見えるわ。今日は満月なの?」と、笑顔を見せた。でも、まだ日が暮れる前で、空には星も月も出ていない。そもそも車の窓は横についていて、天井を見上げる形でストレッチャーに寝かされている母から、空を見ることはできない。

 「おかあさんには何が見えているんでしょう……」。恵さんが目を真っ赤にして、つぶやいた。横にいる誠は、顔をしかめて目を閉じた。

 30分ほどして、本院に到着した。母はストレッチャーごと診察室へ。私たち家族3人は受付でしばらく待つように言われた。

15分ほどして、看護師が話しかけてきた。

 「これから全身のX線と、脳のCTを撮ります。ご家族をお呼びするまでに1時間前後かかるかもしれません。その間に、受付の方で入院の手続きをお願いします」

 とても丁寧な応対だ。3人で受付に行き、入院のための書類を受け取って記入した。

 そこに、副院長の林先生が現れた。

 「お待たせしてすみません。お母さまはいま、検査中です。個室か相部屋か、ご希望はありますか?」

 「母は人見知りする性格なので、個室の方がいいです。ただ、できるだけ安いとありがたいのですが……」と私が答えかけると、誠が遮るように話し出した。

 「急にお願いして転院させていただいたので、空いているところで構いません。どうぞよろしくお願いいたします」。誠は深々と頭を下げた。

 「今日は金曜ですよね。実は、月曜には整形外科病棟の個室が空くんですが、週末は追加料金のかかる個室しか空きがありません。差額ベッド代が1日3万円で……」という林先生の言葉に、私は思わず「3万円?!」と目を見開いた。

 誠が慌てたように私を遮った。「林先生、そこで結構です。母をよろしくお願いいたします」。

 「いやいや、こちらこそ申し訳ないです。月曜にはもっと安い個室に移れますから、2日間だけ辛抱してください。その代わり、病院が定める面会時間とは関係なく、ご家族は24時間ずっと部屋にいられますので」。林先生は会釈をして去って行った。

 しばらくして、診察室に呼ばれた。母は既に病室へ運ばれた後だった。整形外科の医師が、X線撮影の写真を見せながら説明した。人工関節を入れる手術を、来週火曜日の午前中に行うという。

 その後、3人で病室に向かった。エレベーターで高層階に上がると、エレベーターホールから病室側への扉は施錠されていた。VIP向けのフロアらしい。インターホンを鳴らし、「○○号室と言われたんですが、家族の者です」と名乗ると、看護師が出てきて案内してくれた。

 10畳近くありそうな、広い部屋だった。奥のベッドに寝かされた母は、しかし、相変わらず何かを大声でしゃべっていた。「まもなく医師が参りますので」と、看護師は病室を出て行った。

 「母さん、広い部屋だね。気分はどう?」。誠が話しかけた。

 母は誠の顔を見て、「あら、陽子、やっと来たのね」と声を上げた。「約束の時間に遅れちゃだめって言ったでしょ。イタリアンのレストランで、お父さんが待っているわよ」

 「お母さん、陽子は私。そっちは誠よ」と私が言うと、母は不思議そうな表情をして、「誠? 違うわ。そこにいるのはお父さんよ」。

 誠が青ざめた。恵さんはその場に座り込んだ。

 ちょうどそこに、医師が入ってきた。先ほど診察した整形外科医だ。私はすがるように質問した。

 「先生、母が妙なことをずっと、うわごとのようにしゃべり続けているんです。でも、昨日の夜まではごく普通に会話をしていました。今日の昼間、前の病院で何かあったみたいなんです。母は元に戻るんでしょうか? 戻りますよね?」

 医師は、静かな口調で答えた。

 「検査の結果、脳に異常はありませんでした。おそらく突然、周りの環境が変わり、脱水症状などで体調を崩したことによる、せん妄ではないかと思います。お年寄りに起こりやすい症状ですが、数日たてば元に戻るはずです」

 せん妄? 初めて聞く単語だった。

     ◇

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