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 1614年の大坂冬の陣で豊臣方の武将・真田信繁(幸村)が築き、徳川方に大打撃を与えた大坂城の出丸「真田丸」。タイトルになったNHK大河ドラマがクライマックスを迎える中、その真田丸を描いた新たな絵図が相次いで発見され、大阪市と松江市でそれぞれ11月6日まで公開されている。

 大阪歴史博物館(大阪市中央区)での特別展「真田丸」で初公開されたのは、冬の陣で真田丸を南から攻めた加賀藩主・前田家の文書から見つかった「大坂御陣真田丸之図」。大坂城下の南端を区画する堀「惣構(そうがまえ)」に面した門と土橋でつながった半円形の曲輪(くるわ)として描かれている。周りを囲む空堀の中に柵を設け、堀の周囲に「ヒシ(まきびし)」をまいて防御を固めた様子が細かく描写されているほか、真田丸と前田軍の陣地との距離が「百八十足」だったことも記されている。

 特別展の準備のために前田家の文書目録を調べていた同館の学芸員が、真田丸の絵図があるのを見つけて文書を管理する前田育徳会に問い合わせたところ、それとは別のこれまで知られていなかった絵図が見つかったという。豊臣期の大坂城を研究している松尾信裕・研究主幹は「真田丸と前田軍の距離を実測するなど、冬の陣の講和から真田丸が破壊されるまでの間に前田家の人間が調査した記録が元になっているとみられ、信頼性はかなり高い」と話す。

 一方、全く異なる真田丸の姿を描いた絵図が今年7月、松江歴史館(松江市)が所蔵する「極秘諸国城図」の中に新たに見つかったと発表された。その絵図「大坂 真田丸」は、同館で開催中の特別展「松江藩主 松平直政の生涯」で展示されている。

 今まで知られている真田丸の絵図は、大多数が前田家の「真田丸之図」のように半円形に描かれるが、松江の絵図では四角に近い。四角い真田丸は広島藩主・浅野家に伝わった「諸国古城之図」の「摂津真田丸」が知られるが、松江の絵図には広島のものでは省略されている小さな曲輪がみられるなど、細部がより丁寧に描かれている。

 注目されるのは、真田丸を半円形に描く絵図では大坂城と橋でつながっているのに対し、冬の陣から数十年後の真田丸を描いたとみられる松江の絵図では、大坂城との間に田畑になった広大な惣構堀跡が描かれ、真田丸が半ば独立しているように見える点だ。

 「極秘諸国城図」の包み紙には「元禄(1688~1704)」の元号があり、1690年ごろに作成されたとみられる。城郭の考古学が専門の千田嘉博・奈良大教授は「破壊された数十年後とはいえ、実際に現地を歩いて写実的に描かれている。真田丸が大坂城から独立した攻撃的な出城だったことを示す資料だ」と指摘している。

 大阪歴史博物館(06・6946・5728)の「真田丸」展では、真田信繁が討ち取られたときに持っていたとされる采配など、大坂の陣を巡る資料を多数展示。一般1300円など。松江歴史館(0852・32・1607)の「松江藩主 松平直政の生涯」展は、真田丸攻めで初陣を飾り、藩主として松江藩の基礎を作った松平直正ゆかりの資料を紹介。一般500円など。(編集委員・今井邦彦