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 〈犬も歩けば棒にあたる〉

 昭和天皇の勅語の起草過程を記す文書を見つけたとき、そんな言葉が頭をよぎった。

 今年の5月3日は日本国憲法の施行からちょうど70年になる。憲法担当の記者としてどんな企画ができるのか、昨年12月からリサーチを始めたところだった。テーマはいくつもある。立憲主義の危機、人権保障は十分に行き渡っているのか、憲法の番人として最高裁判所は十分な役割を果たしているのか、衆議院と参議院の役割は今のままでいいのか……。

 あれこれ考えているうちに頭に浮かんだのが、明仁皇太子(現天皇)が1946年元旦に書いた書き初めだった。

 「平和国家建設」

 10年前、憲法9条と象徴天皇制は戦後体制の両輪だったという記事を書いた際に取り上げたが、どんな背景があって書かれたのかはよくわからないまま。「宿題」として自分のなかにずっと残っていた。

 「書き初め」の話を調べてみよう。研究者や学習院大、文部科学省などに取材を申し入れた。だが、これといった成果は上がらなかった。

 〈骨折り損のくたびれもうけ〉

 ただ、「平和国家建設」という明仁皇太子の「書き初め」に早くから注目していた研究者がいた。和田春樹・東京大名誉教授だ。2015年12月に出版した「『平和国家』の誕生」で、「平和国家確立」を掲げた昭和天皇の勅語の持つ意味を世に問うた。

 しかし、和田さんは「勅語の起草過程は不明」としていた。ならば勅語の原本をこの目で見てみようと、国立公文書館のデジタルアーカイブにアクセスした。このアーカイブは、日本国憲法の公布原本や「終戦の詔書」(玉音放送)の原本を自宅にいながらパソコンで見ることができる。

 「勅語 帝国議会 開院式」と打ち込んで検索すると、原本がぞろぞろ出てきた。お目当ての第88回帝国議会の開院式の勅語を読み進めていくと、勅語に続いて、いろんな書き込みのある資料がついていた。

 第1案から第4案まである。よく読むと、「川田嘱託」「緒方書記官長」「首相宮」など、何やら当時の東久邇宮内閣の面々の関与がうかがわれる。しかも、第1案には「平和国家」という言葉はなく、修正を重ねる中、第4案で「平和国家」という言葉が盛り込まれていた。これは面白い。和田さんに連絡したら「豊さん、大発見ですよ!」。

 〈棚からぼたもち〉

 その後、歴史学や憲法、日本語の専門家にもアドバイスを仰ぎながら、勅語の起草過程を記事にすることができた。昭和天皇の勅語をめぐっては、評価も様々だろう。今後の議論の進展の一助となれば、と思っている。謹賀新年。(編集委員・豊秀一

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