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 山梨県早川町の辻一幸町長(76)は、町長になって36年になる。初当選は、モスクワ五輪が開催され、ジョン・レノンが殺害された1980年。「超」長期政権の秘訣(ひけつ)は何か。辻氏へのインタビューは以下の通り。

 ――10期目の感想は。

 初当選から36年間だけど、自分じゃ昨日みたいな感じで、長いとは思わなんだ。ただ、みなさんが(10選は)珍しいと注目してみているから、責任は重いね。

 ――そもそも町長になったきっかけは。

 30歳で県議選に出て負けたころ、(後に自民党副総裁になった)金丸信先生に「お前、上なんかいくな。この町を守れ。俺が面倒を見てやるから」と言われてね。金丸先生はこの地域のドンで、こういうものを作りたい、ああいう予算がほしいというときは、いつでも飛んでこい、俺が汗を流してやると。同時に、「辻を使え」と若い私を引きたててくれた。

 町では今、リニア中央新幹線の建設工事も始まり、中部横断自動車道も通ることになったけれど、リニアも中部横断道も、金丸先生がレールを敷いてくれたね。

 ――ただ、ピーク時に1万人いた町の人口は1100人まで減りました。人口減はどうしようもなかったのでしょうか。

 どうしようもないね。町長に就任したときには3千人を割ろうとしていた。つまり1万人のうち7割が町を出て行った。町は暗い状態だったから、なんとか沈滞ムードを打ち破っていかなきゃいかんとやってきた。

 町長になったばかりのころ、保育園の子どもに「どんな町にしたいか、絵を描いてくれんか」と描いてもらったことがある。そのとき、深い谷を早川の清流が流れ、川沿いの高速道路を車が行き来し、谷に橋をかけて新幹線が通っている絵を描いた子がいた。町を通るリニア中央新幹線の完成予想図とそっくり。まさに夢が現実になろうとしている。

 ――地域経済はまだまだ厳しいのでは。

 厳しいね。高度成長期に企業もこの地域は選んでくれず、素通りしていった。

 そこで考えたのは、昭和の合併で早川町になった旧村にはそれぞれ個性があり、歴史や文化もあるから、旧村ごとに光らせ、活力を出そうと。地元と行政主導で温泉施設などの核となる拠点を旧村ごとに作った。それを踏み台に元気づけていくことを考えた。

 ――山村留学の費用を全額負担したり、義務教育の教育費を無償化したりするなど、教育と福祉に手厚いです。

 学校がなきゃ、人は出て行かざるをえない。人が住むところには子育てが出てくる。そうすれば教育が必要になる。それで小学校2校、中学校1校は守っていきますと条例で位置づけた。生徒数が0になっても休校にして、廃校にはしませんと。学校を建設したとき、議会で生徒1人あたり1億円の学校だと言われた。小さな町だから、1人あたり100のところを120に手厚くできる。

 ――長期政権の秘訣は何でしょう。

 毎日毎日ベストを尽くすことですよ。私は町長になってから、風邪で休んだり寝込んだりしたことはないですよ。そのぐらい真剣勝負で一日一日を生きてきた。

 首長に求められているのは、地域の将来像を展望すること。地域に目標や夢を与えていくことが大事じゃないか。長いことがいいとは思わないが、首長が変われば政策が右にいったり左にいったりすることがないよう、大局的に地域を考えていかなきゃダメ。俺に代わる者は出てきて、夢や実行力を出してみろというぐらいの意気でやってきた。

 任期のせいもあるかもしれないけど、他の首長たちはやろうとしていることが小さく、ロマンがないね。国の政治を見ていても、もっと訴えるものがないとダメだと感じるよ。

 ――とはいえ、多選に問題はないでしょうか。

 多選がダメかどうかは選挙民が判断すること。町長に初めて立候補したときから「ダメだったらいつでも辞める」って訴えてきた。その気持ちは変わってないね。

 ――後継者については。

 町づくりはいい人材を見つけながらやっているけれど、「この人が後継者だ」というのはいかがなものかと思うね。

 ――いつまで続けますか。

 今のところ、(次も)やるとも辞めるとも言えんけどね。「これで終わりじゃないだろな」という支持者もいるね。だから冗談のように言うの、「元気じゃやるさ、90歳まで」と。(聞き手・渡辺嘉三、山下剛)