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 長野県軽井沢町でスキーツアーの大型バスが道路脇に転落し、乗客・乗員15人が死亡した事故から15日で1年になる。亡くなった乗客の13人は全員、未来へ羽ばたこうとしていた大学生だった。家族は悲しみを抱えながら、悲惨な事故の再発防止を願う。

 娘に誇れるような父でありたい――。娘を亡くしたさいたま市の阿部知和さん(57)は今、こんな思いを胸に、遺族会の一員として事故の再発防止を訴えている。

 「真理絵が事故に巻き込まれたらしい」

 1年前の1月15日朝。阿部さんは出張先の群馬県高崎市で一報を聞いた。息子からの電話だった。

 新幹線で軽井沢町へ向かった。事故現場近くにある公民館に着くと、一定間隔に置かれた白い棺(ひつぎ)が目に入った。不思議な光景だった。その中の一つに、眠ったように横たわる長女の真理絵さん(当時22)がいた。

 「うそだと思いたかったけれど、現実だった。頰に触れると氷のように冷たかった。その瞬間、涙があふれ出てしまった」

 真理絵さんは当時、早稲田大国際教養学部の4年生。大手重工メーカーに就職が内定し、3カ月後には社会人として新しい一歩を踏み出すはずだった。

 事故後、家族の前では気丈に振る舞い続けたが、一人になると真理絵さんを思い出し、涙を抑えることができなかった。

 事故の約3週間後には「スキーバス転落事件被害者遺族の会」が結成されたが、最初の会合には参加できなかった。四十九日までは娘をしっかりと送り出すことが精いっぱいで、「再発防止を訴えようという気持ちにはなれなかった」。

 気持ちに変化が起きたのは、昨年3月中旬。警察から返された遺品のバッグに、真理絵さんが就職活動中に使っていたスケジュール帳があった。最初のページに、こんな言葉が残されているのを見つけた。

 《生んでくれて育ててくれて早稲田までの教育を受けさせてくれて》

 《いいところに就職して恩返しする》

 両親に対する感謝の言葉を、妻と泣きながら何度も読み返した。「就活中の自分を奮い立たせる言葉だったと思う。でも、この言葉があったから私も前を向いて前進しようという気持ちになった」。遺族会の会合への参加を決めた。

 その後は遺族会に積極的にかかわり、バス会社や旅行会社への罰則強化を求めて国土交通省などと意見を交わし、安全確保策が打ち出されてきた。「少しずつだが、変わってきている。続けることに意味があるんだと、真理絵も言っているような気がする」

 真理絵さんが大学に入学した直後のことを思い出す。突然、「バイオリンをやりたい」と言い出した。高校ではバドミントン部と茶道部に在籍し、楽器には触れたことはほとんどなかった。1年のときは満足に音さえ出せなかったが、自宅で毎日練習を続け、1年後には演奏会でオーケストラの一員として弾けるまで上達した。

 「負けず嫌いで、自分で決めたことは必ずやり続ける子だった。私が今やり続けなければいけないことは、悲惨な事故を二度と起こさせないような制度づくりを訴えていくこと。そして事故を風化させないことだと思う」(辻隆徳)

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