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 言葉探しに出かけよう。ぼくが嫌いな言葉って何だろう。「悪」はどうか? 嫌いな言葉になる時もあるが、「誰の内にも外にも悪はある」と先達に言われたりすると、「悪」を嫌いにはなり切れない。言葉って、どんな場面、どんな流れ、どんな文脈で使われるか、でその言葉の持つ響きは大きく違う。悪より「偽善」の方が嫌いだ。「偽」という字を好きになれない。人間がこまい(鳥取方言)からか。「偽悪ぶる」は「偽善」より嫌いではない。「悪友」「悪妻」は何かいい。「悪」には憎めない響きもある。言葉って面白い。

 「押しつける」、これは良くない、反省を込めて。患者さんや家族にAがいい、と押しつける。BやCの選択肢だってあったのに。「決めつける」も同様。強制という響きがする。正義、と思っている時に誤りは起こりやすい。そもそも「正義」が、良い言葉なのかどうか。世界の惨状を見ると、正義の名のもとに蛮行が行われる。正義が大量の死を招く、いつも。好きになれない。「正義はない、それが正義」と言ってみたくなる。「正義」に距離を置いている人が、かえってよい仕事をしている。

 「密告」、これも嫌い。特に戦時期。密告は人を拷問や処刑に導く。社会正義のためには大切と肯定する人もいるが、嫌い。「拷問」も許せない。人間が他の動物に見劣りするのは、この点だ。動物にもよるが。この行為をしない動物、植物は偉い。

 「美化」も嫌い。高校生の美化委員はいい。人間は美しいものが好きだ。それはいい。必要以上に人のやさしさ、同情心、協同性を美化するのは嫌い。美化で社会は変わらない。

 考えてたら「悪」がまた浮かんだ。「悪性腫瘍(しゅよう)」。皆で力を合わせ、病気になんとか立ち向かおうとする姿は、病名の「悪」を超えて新しい境地を作っていく。

<アピタル:野の花あったか話>

http://www.asahi.com/apital/column/nonohana/(アピタル・徳永進)